
上田早夕里インタビュー・「科学と戦争」を現場から描く
2003年に第四回小松左京賞を受賞した『火星ダーク・バラード』でデビュー後、陸地の大半が水没した地球が舞台の《オーシャンクロニクル》シリーズ(「魚舟・獣舟」『華竜の宮』等)を筆頭に、SF・歴史小説・ファンタジーなどさまざまなジャンルでヒットを生み出してきた上田早夕里さん。
現在「小説推理」で連載中の『炎陽を撃て』は、《戦時上海・三部作》(『破滅の王』、『ヘーゼルの密書』、『上海灯蛾』)に続く、戦後編の最新作です。「科学と戦争」をテーマにした《戦時上海・三部作+戦後編》は、民族や排外主義、科学と倫理、ジェンダーと女性差別など、現代にも通ずるアジェンダを多く含んだ歴史小説であり、SFとして読める部分もある作品です。
『炎陽を撃て』は、WEB小説推理に登録すると無料で読むことができます。第一回はこちらから。
SFや歴史小説を通して、現代社会の問題を炙り出してきた上田さんに、《戦時上海・三部作+戦後編》の魅力や『炎陽を撃て』の見どころ、そして海外への眼差し、次世代へのメッセージなどについてお聞きしました。
世界に開かれた上海租界
──1920年代~1940年代を舞台にした時代小説というと、軍国主義的な色合いが強い、男性たちの物語をイメージしますが、《戦時上海・三部作+戦後編》にはリベラルな視点が多数盛り込まれていますよね。
《戦時上海》シリーズを書くために資料を集めていてすごいなと思ったのが、上海租界に当時住んでいた一部の日本人(知識人)たちは、現代の私たちの価値観とほぼ変わらないものを持っていたということです。作品を書く上で、特殊な人物を設定して作中の時代にはめ込まなくても、史実通りに書いたら、読者がそのまま理解できる登場人物になる。これは大きな驚きでした。
太平洋戦争が始まった時に、上海自然科学研究所にいた人が「この戦争は四年ぐらい続いて日本の負けで終わる」と言ったのですが、全くその通りになった。フィクションで描いたら『現代人の思考を持ち込んだ不自然な展開』とか言われかねない発言ですが、実際に記録として残っている。
なぜこういうことが起きたかというと、ひとつは、当時の上海租界は海外に開かれていたので、海外の情報がストレートに入っていたことが大きかったのです。そして、この人たちは高度な教育を受けており、英語も読み書きできた。この二つが揃うと、ほぼ正確に世界情勢を把握できた。
外洋を航行する船、つまり海外との貿易でつながりがあった船員さんなども、同じ印象を持っていたそうです。アメリカの現状を自分の目で見ていた人は、この国と戦っても勝てるはずがないと。逆に言うと、情報を統制されることが、庶民にとっていかに危険かということがわかる。
現場から見える時代の姿
──《戦時上海・三部作》でも《オーシャンクロニクル》シリーズでも、外交官や交渉人……つまり最終的な決定権を持っているわけではないけれど、ある程度は裁量があり、すごく良心的で、現場で交渉を担っている人が結構出てくると思いました。上田さんご自身がこういったキャラクターに魅力を感じていますか。
魅力とか楽しいということよりも先に、私が書こうとしている世界には、いろんな人がいて、いろんな立場の人が、いろんなものの考え方をしている。こういう人たちを物語の中で見せていくには、主人公の目を通してその人たちを観察し、関わっていくという形で繋ぐのが最も効果的です。主人公の肉体や行動を通して、個々の人たちを描くことで社会全体の姿が浮かび上がってくる。
こういう形を取る時に、交渉役や外交官の主人公は非常に使い勝手がいい。特にSFでは効果的に働くということなんですね。
──キャラクターの魅力というよりも、物語の語りやすさとの兼ね合いなのですね。一方で、そういう交渉役は、現場でギリギリ踏ん張っている現代人たちが感情移入しやすい登場人物ですよね。私の兼業先の業界では、現場の人が無理をしていろんなことを丸く収める瞬間がたくさんあるんです。でもそうすると、うまくいったじゃんってことで、現場に負担がいく構造は変わらなくて……。
それはどの業界でもありますね。構造を変えるのは上の人たちにしかできないので、どうしても変えたいと思ったらストライキやデモで要求を訴えるしかないわけで、ただ、いまは、そういった方法は通りにくくなっている。
──そういう意味で、交渉役がもたらす負の側面……例えば、善意の交渉や現場のふんばりが、他の人の思惑に利用されたりとか、妥協をしたことによって一部の人は害を被ってしまったりといった側面も、冷徹というか、シビアに書かれていますよね。
負の側面/正の側面というのは、状況や時代背景によって簡単に入れ替わってしまう。すると、やはり両面を書いておかないと、社会を描いたことにならない。SFというのは、全てを書き尽くそうとするジャンルだと私は思っていて、細かいところまでもれなく拾っていく、なるべく拾っていく、そういうスタイルを徹底させた時に、負の側面も拾うことになる。
物事の一面だけを見るんじゃなくて、上から見たり下から見たり、立体的に見る。そうやって初めて、社会の全体像が見えてくる。物の見方の角度を変えるという感じです。
──決定権を持ってる人たちを描くということはされないんですか。
例えば軍隊を題材にして作品を書く必要があったとき、私は兵隊にしか興味がわかない。戦争の物語を書くときに、海軍の司令官とか陸軍の大将とか、指揮官の話を書く人は大勢います。読者も、たぶん、そちらを読みたい方のほうが多いはずです。でも、私が一番書きたいのは陸軍の歩兵なんですよ。そこに、最も、戦争の本質が見えているから。いいところも悪いところも、全部、端的に見える。だから、どうしてもそこに焦点が当たる構造の作品になる。上に行けば行くほど、本当は見えなくなってはいけないものが、どんどん見えなくなっていく側面もあるので。
──一番矛盾が出てくる場所だから、全部が見えるっていうのがあるのかもしれないですね。『ヘーゼルの密書』と『破滅の王』は知識人の物語なのに対して、三作目の『上海灯蛾』は庶民……というにはちょっと悪役すぎるかもしれないですが、庶民の物語だと感じました。庶民をメインにした物語を書かれたのにはどういう意図があるんですか。
『上海灯蛾』の登場人物たちは、庶民ではあるんだけれど、裏の社会を通して生の情報を受けとっているという意味では、知識人を主人公にした他の二作品と構造は同じです。情報を知識として得ているか、現場で生の形で受け取っているかという違いだけで、上海租界という土地の特性を考えた時に、実は同じことをやっている。
──『上海灯蛾』と『ヘーゼルの密書』では、上海のイメージが全然違うなと思いました。
上海租界は、1920年代から40年代の30年間で、街の雰囲気が激変していきます。たとえば東洋と西洋の文化が混じり合った豊かな街、妖艶で混沌とした街、といった、特に予備知識がなくても、上海租界という言葉を聞いた時に日本の一般的な読者がなんとなく思い浮かべるイメージは、満州事変が起きたり華中が日本軍の占領下に入る前の上海租界です。
でも20年代から中国人労働者のデモが起き、デモに対する弾圧があり、それから満州事変以降に日本人と中国人とのトラブルが租界の中でも頻繁にあって、二度も勃発した事変を経て、上海の共同租界は、どんどん暗さや不自由さを増していく。その一方で、フランス租界では音楽や芸術の活動がずっと続いていたりする。こういった時代の変化を表現したかったので、長い期間をとって、わざわざ三部作にしています。
シリーズ全体の構造を考えた時に、『破滅の王』は年表になっているんですよ。作品自体が年表。1931年の満州事変から始まって、1945年の終戦で終わる。この中に入れ子状態で『ヘーゼルの密書』と『上海灯蛾』が入っています。
連載中『炎陽を撃て』のみどころ
──《戦時上海・三部作+戦後編》の最新作として今連載されている『炎陽を撃て』は、戦後直後のチベットが舞台ですが、上海ではなく、しかも戦後で……というのはどういう意図があるのでしょう。
《戦時上海・三部作》は「科学と戦争」という題材をずっと追いかけているんです。この時代背景で「科学と戦争」を扱って、これは絶対に避けて通れないだろうという題材がひとつあって、『炎陽を撃て』ではそれを扱います。科学と戦争を扱う作家として、しかも日本の近代史を扱ってきた書き手として、これはどうしても通らなきゃならない大きな山でした。書くチャンスを伺っていたんですが、なかなか難しくて、手を出しかねていました。でも『上海灯蛾』で第12回日本歴史時代作家協会賞作品賞をいただけたので、そろそろ手がけても大丈夫かなと。そのためには山のように資料を読む必要があって、いま大変な目に遭っていますが。
──ずばり、作品のアピールポイントはなんですか。
男性登場人物がチームを組んで困難なミッションに挑むという作品ですから、物語の形式としては冒険小説やアクション映画と同じです。今回とても大きな題材を中心に置いているので、物語の枠組み自体は、シンプルで最もわかりやすい型を使いました。ですから、ストレートに冒険系エンターテインメントとして読んでもらって構わないし、人間関係を細かく描いているので、そういった部分も楽しめる作品です。主人公側の兵士たちがみんないいやつばかりなので、自分の好きな俳優さんのイメージを重ねながら読むとか、そういった楽しみ方をしてもらっても構いません。
──はぐれ者たちのチームという魅力もあるのかなと思いました。
そうですね。はみ出し者だけで集まったチーム。私ね、岡本喜八の戦争関係の映画が好きなんですよ。日中戦争を題材にした映画をいくつか撮っている監督で(※戦争以外の題材でも面白い映画をたくさん撮っている方です)、『血と砂』という、招集されたばかりの若い兵士をひっぱっていく曹長が出てくる映画があって、その原案になったのが、伊藤桂一という作家の短編集『悲しき戦記』です。伊藤桂一は自身も日中戦争を体験した人で、自分の経験だけでなく、同時代の兵士に取材した話なども元に作品を書いた。『悲しき戦記』は、太平洋戦争の話も含めた、名も無い兵士たちの物語です。
末端の兵士の姿が、もうそのまんまリアルで、いいやつなんだけどどこか抜けていたり、岡本喜八が撮る映画もそんな感じで、戦地の極限状態でずっと緊張していると精神を病んでしまうから、戦闘がないときには皆だらっとしていたり、ぼんやりしていたりする。そういう時に見える、人間の人間らしさみたいなものが描かれていて、赤紙一枚で戦地に送られた若者の悲惨な状況が、いまの日本の厳しい現実とそのまま重なって見えて、ああ……となるんですよね。
海外でも活躍する作家として
──中国のSFの賞である銀河賞で〈最も人気のある外国のSF作家の部門〉を受賞されていたり、英語、フランス語にも作品が翻訳されていますよね。海外の読者に読まれることを意識して執筆することはありますか。
ないですね。どこの国に住んでいて、どういう言語で書こうとも、その作家がもつ個人の視点を徹底させることが、結局グローバルに届くんじゃないかという気がします。確か宮崎駿さんが『千と千尋の神隠し』が公開されたときのインタビューで、「なぜ、こんなに日本的なものにこだわった作品をつくったのか」と聞かれて、「日本固有のものを描くことこそが、世界に届ける最短コースだ」みたいなことを言ってたんですよ。
そんなものかなあと当時は思ったんですが、自分も作家になって仕事を続けていったときに、やっぱりそうだったのかなあと思ったりはしています。そこが売りになるとか、そこを狙って書くというのではなくて、作家自身が何を信じていて、何に情熱を注いでいるのか、そういうことを熱心に書くと、案外、海外の読者にもストレートに届く。
短編集の『魚舟・獣舟』を刊行した時に、表題作以外でSF外の読者からの反応がよかったのが、書き下ろし中編の「小鳥の墓」でした。一歩間違えたら自分もこの主人公みたいになっていたかもしれないと、そこに感情移入したという感想を若い世代からたくさんいただいて、ちょっとびっくりしたんですね。「これは特別」と言ってくれる読者もいる。簡体字で翻訳された時に、中国の読者もこの作品にものすごく反応してくれて、この作品は日本を舞台にした物語ですが、特定の状況下にある読者には、国の違いを超えて響くものがあったのだなと感じました。
──国とか言語圏の違いというよりも……。
置かれている状況によって、響き合うところがあるんでしょうね。昔は日本の作品はわかりにくいと言う人もいましたが、今はみんなスイスイ読む。社会背景がインターネット経由で簡単に共有されるようになって、作品の社会的・文化的な文脈を理解した上で読むと、自分たちの状況と同じだということに気づいたのが、今の、海外での日本産アニメや漫画のブームなのかなと感じています。
それから翻訳関係のことでひとつ、これは絶対に言っておきたいのですが、私は自分の作品が翻訳されて海外の人に見てもらう機会を得た時に、自分が日本語以外の言語で小説を書けないことが、ものすごくハンディになっていると気づいたんです。英語で作品を書くことができたら、それをネットで公開して世界中に届けられるのに、そのための努力をしてこなかったがために、翻訳という段階を経由しないと世界へ出て行けない。80年代にもっと英語を勉強して、ずっと勉強し続ければよかったと、ものすごく後悔しているんです。
だから、これから作家になろうとか、作家を続けようという方には、日本語で小説を書くと同時に、英語でも書けるような努力をぜひやっておいてほしい。フラッシュフィクションや、原稿用紙一枚ぐらいのショートショートで構いません。英語で作品を書けたら、海外へ自分の作品を届けるための第一歩になり得ます。自分でその窓口をつくれるんです。私と同世代のSF作家にも、すでに、短編や長編でこれを実現している方がいます。自分で出版したり、海外のアンソロジーに作品が掲載されたり。翻訳を通さないで、ダイレクトに作品を届けるための努力をしている。
最近では、今までSFがないと言われてきた国の若い世代でもSF雑誌を作っていて、それは紙媒体じゃなくて、最初からウェブだそうです。この人たちは母国語以外の言語、つまり英語で書く力を備えているので、作品がストレートに世界中に届く。これからはAI翻訳の質も向上していくでしょうが、それを待つだけでなく、もっと先へ行っておいたほうがいい。
だから本当に、翻訳に関わってくれた方にはものすごく感謝しています。自分ができないことを代わりにやって、作品を紹介してくれているわけですから。書評家の方とか、作品を翻訳するわけじゃなくても日本にはこういう作品がありますと海外へ紹介してくださる方もいたりして、本当にもう、ありがたいことです。
──貴重なお話ありがとうございました。
(聞き手・構成:井上彼方)
※このインタビューは2025年1月18日に行われたものです。
告知
《戦時上海・三部作+戦後編》の二作目、日中の和平交渉を描いた『ヘーゼルの密書』は、女性登場人物たちが活躍する物語でもあります。歴史小説やSF小説を通して、ジェンダーやセクシュアリティを描いてきた上田さんに、ジェンダー・セクシュアリティ・男性性とフィクションをめぐって詳しくお話を伺ったインタビューを『Kaguya Planet No.5 おじさん』に掲載しています。こちらもぜひ合わせてお読みください。
書影クレジット
『破滅の王』©︎上田早夕里/双葉社(単行本2017年、文庫版2019年)
『ヘーゼルの密書』©︎上田早夕里/光文社(単行本2021年、文庫版2024年)
『上海灯蛾』©︎上田早夕里/双葉社(単行本2023年、文庫版2025年)