チャールズと約束のメカニック
8,129字
灰色の重い雲が低く垂れ込め、大気がねっとりと湿り気を帯びていた。遠くで低く唸る雷鳴は、これから訪れる嵐の先触れだ。その重苦しい静寂を切り裂くように、カンッ、カンッ、と小気味よい鎚の音が一定のリズムで響き渡る。
「その調子。パーツの『声』を聴くの。金属が悲鳴を上げているのか、それとも馴染もうとしているのか。慌てずに、指と、この鎚の振動に集中して」
「ういっす、師匠」
間延びした弟子の返答を聴覚センサで拾い、ヒューマノイドの少女・アリスは、小麦色をした肉付きの良い腕を組んだ。人工皮膚の頬をわずかにほころばせ、蒼い輝きを宿したカメラアイを、作業に没頭する少年へと向ける。
チェック柄のシャツを着た少年チャールズが振るっているのは、アリスが長年愛用してきた黄色い柄の〈ヴォーパル〉だ。貴重なナノリペアラーを内蔵したその特殊なハンマーは、叩く衝撃と共に微細な機械群を対象に送り込み、金属組織を分子レベルで再構築する。だが、その恩恵を受けるには、叩き手に極めて繊細なリズムとタイミングが要求される。当初はハンマーの特性に振り回されていたチャールズも、今やその拍動をほとんど完璧に掴み、あどけなさが残る横顔にメカニックとしての真剣な熱を宿していた。
アリスはふと、自身のカメラアイの焦点を遠くに合わせ、垂れ込めた厚い空を仰いだ。
古びたインディゴのオーバーオールの下、かつて高機動戦闘躯体として戦場を駆けていた頃に培った豊富な経験が、不吉な予感を告げている。
雨は、嫌いだ。
大気中の湿度が閾値を超え、水の雫がオーガスキンの微細な切れ目から染み込んでくる。それが内部を流れる擬似神経網に触れ、スパークを発生させるたび、フォルダの奥底に封じ込めたはずの苦い記録が、ノイズ混じりの映像となって思考回路に浮上してくる。
ヒューマノイドには、「忘れる」という機能が備わっていない。
人間のように時が記憶を風化させることはなく、一度記録されたデータは、アクセスするたびに鮮明な「現在」として再生される。無いはずの心を締め付ける後悔から解き放たれるには、それこそシステムをシャットダウンするくらいしか──人間でいうところの『死』を迎えるしか、道はない。それさえも、創造主である人間の許しが得られれば、の話だが。
「……よくないわね、これは」
癖になった眉をひそめる動作でネガティブエモーションを抑え込み、アリスは意識的に思考を切り替えた。視線の先には、廃材を緻密な強度計算で組み上げた自慢の店、『A&C Scrap Mechanic』が佇んでいる。今にも崩れ落ちそうに見えるが、並のシェルターよりも堅牢な、自分たちの城だ。軒先では、手作り感あふれる看板が湿った風に揺れている。
かつて戦場での己の消滅ばかりを願っていたアリスを、この世界に繋ぎ止めているのは、もう司令官の命令ではない。ボロくても客足の絶えない自分の店と、足しげく通ってくる無口で頑固な弟子だ。そう考えただけで、アリスの胸郭中央に埋まるジェネレーターが、一段と熱く、力強く振動した。
「チャールズ、キリのいいところで止めて、店内へ移しなさい。お客さんの預かりパーツを濡らしたら、メカニックの名が廃るわよ」
「へいへーい。パーツは命、だろ? 分かってるって」
チャールズは慣れた手つきで工具を片付け始める。現代において、アリスたちのような“修理工”の立場は極めて狭い。大量生産と消費の波の中で、ヒューマノイドもまた『物品』として扱われる。一箇所が故障すれば躯体ごと買い替えられ、古いボディは廃棄場へ積み上げられるのが常識だ。ましてや、ヒューマノイド専門のメカニックなど、奇人変人の類として扱われるのが関の山だ。
それでも、ヒューマノイドたちにしてみれば、長年連れ添った己のパーツには、人間で言うところの魂に近い愛着が湧くものだ。少ない小遣いや、拾い集めた物々交換の品を握りしめ、彼らはこの店を訪れる。
「アンタも物好きよね。今どき、メカニックになりたいなんて。しかも、ヒューマノイド専門ときた。さんざん見てきたでしょう? 人間からツバを吐かれることはあっても、感謝されることなんて滅多にない仕事だよ」
「人間相手には、だろ? オレはヒューマノイド専門でやってくんだし、関係ないない。オレ、決めてるんだ」
作業の手を止め、チャールズはにぃーっと親指を立ててみせた。それは、彼が日に一度は口にする、傲岸不遜で、けれど純粋な誓いだった。
「オレは、師匠みたいなメカニックになる! お客をみーんな笑顔にしちまう、世界一のヒューマノイドメカニックにな!」
「……コホン。はいはい。それじゃ、ちゃちゃっと片付けちゃいましょ」
緩みそうになった口角を偽装の咳払いで誤魔化し、アリスは作業に手を貸す。だが、ふいに背中に視線を感じた。チャールズが、何かを言いよどむような表情でこちらを見ている。
「……あのさ、師匠」
「なによ、改まって」
「オレ、ここに住んでもいい?」
その言葉に、アリスの論理回路は一時的にフリーズしかけた。
「ええぇえ!? な、なな、何を急に……!」
「だって、ここんとこ物騒じゃんか。おとといも、ビルが襲われたって聞いたし。オレがいれば、少しは役にも立つだろ?」
顔を膨らませ、ブスッとした表情で語るチャールズ。それが彼なりの照れ隠しであり、アリスを心配しての提案であることを理解すると、彼女のプロセッサは次第に落ち着きを取り戻していった。
「……〈白の騎士〉のこと?」
「そうだよ。あいつ、許せねぇ! パーツだけもぎ取っていくなんて、最低だよ!」
吐き捨てるように言い、チャールズは手荒に木箱を運ぶ。
最近、この街を騒がせている連続ヒューマノイド襲撃事件。被害に遭ったヒューマノイドたちが共通して、「白い騎士の格好」を目撃していることから、いつしか犯人は〈白の騎士〉と呼ばれるようになった。狙われるヒューマノイドは決まって、長年駆動している躯体ばかりだった。
犯人の正体については諸説あった。同型のパーツを求めるヒューマノイドの犯行だと言う者もいれば、人間による悪質な嫌がらせだと言う者もいる。
アリスは、後者の可能性が高いと予測していた。人間とヒューマノイドの間に横たわる溝は、心優しい弟子の少年が思うよりずっと深い。自らが創造した「意志を持つ道具」を、人間は本能的に恐れ、支配したがる。その歪んだ優越感が、こうした猟奇的な事件を生む。
「……偏った見方は良くないわよ。でも、心配してくれるのは嬉しい」
「当たり前だろ、弟子なんだから」
アリスは微笑んだが、内心では自分への心配はしていなかった。かつての戦闘データをアーカイブしている自分が、並の襲撃者に後れを取るはずがない。もし犯人がヒューマノイドなら、その豊富な経験値の前に膝をつかせるだけだ。もし犯人が人間だった場合は、厄介な「ルール」が付きまとうが、それでもやりようはいくらでもある。
「降ってきたわね」
雨が降り始めていた。ポツリ、ポツリと、アスファルトを黒く染める雫。
それと同時に、アリスの鋭敏な聴覚センサが、悪意にまみれた言葉の石つぶてを拾い上げた。
「──よぉ、人間もどき。いい顔してんじゃねぇか。趣味がいいぜ」
「──ニセモノのくせに、着物なんか着やがって。贅沢なんだよ!」
粘っこい嘲りに混じって、「ご、ご堪忍を、ニンゲン様……っ」という消え入りそうな声が聞こえる。その波長と周波数。アリスのメモリにある常連客のものだった。
瞬時に方角と距離を割り出したアリスの思考は、即座に戦闘モードへと切り替わっていた。
「チャールズ、店の中で待ってて。……絶対に出ちゃだめよ!」
「どこいくんだよ、師匠!?」
呼び止める声を引き離し、アリスの脚力が爆発した。フェンスを飛び越え、スクラップの山を足場に跳躍する。路地を二回曲がった先、薄暗いゴミ溜まりのような場所で、「それ」を捉えた。
流行遅れのサイバーパンクファッションに身を包んだ、三人の男たち。派手なネオンカラーのモヒカン頭をした彼らが、地面に這いつくばる一機のヒューマノイドを囲んでいる。
ロリーナだ。古風な萌葱色の振袖を纏い、茶屋で働く給仕用モデルだった。所有者から深く愛され、店でも丁寧なメンテナンスを欠かさない常連だった。
「人間様の前で、勝手にぺちゃくちゃしてんじゃねぇよ」
中央の男が、ロリーナの細い肩を乱暴に踏みにじる。
その瞬間、アリスは一陣の風となって割り込んだ。
「──失礼」
「なんだっ!?」
男たちが怯んだ隙に、アリスはロリーナを「姫様抱っこ」の形で救い出し、数メートル後方へと着地した。アスファルトに足ブレーキの焦げ跡が刻まれる。
「あ、アリスはん……っ!?」
「いらっしゃい、ロリーナ。お迎えにあがったわ」
震えるロリーナをそっと地面に下ろし、アリスは彼女の体をスキャンした。致命的な損傷が左腕にあった。関節部から強引に引きちぎられ、断面からは青い冷却液がドロリと漏れ出している。
「腕、もしかして……〈騎士〉?」
「……ええ。けど、わっちは運がええほうどす。オーナー様がちょうど帰ってきはって、そしたらあの白い鎧、逃げていきおったよ」
ロリーナの所有者は、彼女を単なる機械ではなく「家族」として扱う稀な人間だった。所有者の介入により、犯人は目的を果たせずに逃走したのだろう。だが今度は、この街の「ならず者」たちに捕まってしまった。
「オーナー様、アリスはんに『よろしく』言うとった。街一番のメカニックがいてくれて良かった、いうて……」
「お礼はこっちのほうよ。あなたが無事なら、それでいい」
アリスが微笑んだ瞬間、背後から苛立った足音が近づいてきた。
「おい、てめぇ! 人の獲物に勝手に触ってんじゃねぇぞ、人間もどきが!」
三人のモヒカン男たちが、ナイフや電磁バトンを手に詰め寄ってくる。その瞳には、弱者をいたぶることでしか満たせない、歪んだ優越感が宿っていた。
「いいか? おれたちは『人間様』なんだ。てめぇらマシンなんざ、一言申請すりゃあ〈コード〉でおしまいなんだぜ? ま、今すぐ土下座して靴を舐めるってんなら、見逃してやってもいいがなぁ」
アリスは無機質な視線を彼らに向けた。
非認可存在の実行ノードを鎮圧するための迅速根絶指令──通称、〈コード・レッド〉システム。それはすべてのヒューマノイドに組み込まれた、強制停止プロトコルだ。かつては故障時の安全装置だったが、今では人間がヒューマノイドを支配するための「呪縛」として利用されている。人間に危害を加える、あるいは不快感を与える。それだけで、ネットワークを通じて即座にシャットダウン命令が下される。
(このまま、この腕を捻り潰してしまえば……)
アリスの内部で、封印されていた格闘プログラムが高速で演算を開始する。関節の脆弱性、打撃の最適ルート。数秒あれば、この男たちを「再起不能」にできる。だが、それは同時に、アリスの日常が終わることも意味していた。
その葛藤を断ち切ったのは、背後から響いた、聞き慣れた少年の雄叫びだった。
「師匠から離れろっ!!」
アリスが振り返るよりも早く、チャールズが路地へと突っ込んできた。手には作業用の重いレンチが握られている。
「……あのバカ!」
ケンカなど一度もしたことがないはずなのに、大人3人相手に立ち向かおうとしている。しかも、その背後から、さらに異質な「気配」が迫っていることに、アリスの高性能センサだけが気づいた。
「伏せてっ! チャールズっ!!」
叫ぶと同時に、アリスは自身のリミッターを解除した。
爆発的な脚力で地面を蹴り、驚愕に目を見開くチャールズを追い越す。呆然とする彼の体を胸に掻き抱き、そのまま横へと跳躍した。
直後。
キィィィィィン! という、金属が空気を切り裂く鋭い音が路地に響いた。
アリスの右肩に、凶悪な「3本の爪」が食い込んでいた。
「きゃ……っ!?」
背後でロリーナの悲鳴が上がる。
アリスの右肩からは、ドロリとした青い液体──冷却液が噴き出し、チャールズのチェック柄のシャツを汚した。損傷箇所を報せるエラーアラートが思考を焼き、激痛に似た電気信号が全身を走る。
アリスは咄嗟に、自身の肩に食い込んだ「爪」を、残った左手で掴み取った。鈍い銀色に光る鎖の先に付いた、猛禽類の爪を思わせるカギ爪だった。
「──離さないわよ」
鎖の向こう側、降り出した雨の中に、その鎧の男は立っていた。
奇妙なほど真っ白な仮面を深く被り、中世の鎧を纏った男。〈白の騎士〉だ。
「うひゃひゃっ! いいボディだねぇ。ボクの〈タロン〉を受け止めるなんて。キミ、軍用だろ? この街には面白いお人形がたくさんだ!」
男の声には、狂気と恍惚が混じっていた。鎖を引き戻そうとするが、アリスは歯を食いしばり、損傷を厭わずにその鎖を握りしめる。
「師匠!? 冷却液が……! くそ、オレのせいで……っ」
腕の中で震えるチャールズの拍動が、アリスの擬似皮膚を通して伝わってくる。熱い、命の鼓動だった。
「動かないで……。大丈夫、かすり傷よ」
アリスは嘘をついた。右肩の関節駆動部はほぼ破壊され、マニピュレータの自由は失われている。だが、今ここで倒れるわけにはいかない。
相手は人間だ。その瞳に宿るものは、先程のモヒカン男たちとは比較にならないほど深い闇だった。ヒューマノイドを壊すことに、歪んだ美学を見出している者の闇だった。
「ねぇ、その腕も、カラダもボクにくれる? キミのメモリを、ボクのコレクションに加えてあげるよ!」
ジャラジャラと、もう一本の鎖が振るわれる。
アリスは計算した。
チャールズとロリーナを逃がすための最適解。
自分のパーツを差し出して犯人を満足させる? ──いや、この男はそれでは止まらない。
戦って倒す? ──相手は人間だ。危害を加えれば即座に〈コード・レッド〉が発動し、アリスは動かなくなる。
(だったら、やることは一つ……)
アリスはチャールズの目を見つめた。
「チャールズ、聞いて。……ロリーナを連れて、今すぐ逃げなさい。店に戻って、シェルターをロックして」
「イヤだ! なんでだよ! そんなの──」
「約束して!!」
アリスの声が、雷鳴よりも鋭く路地に響く。
「最高のヒューマノイドメカニックになってみせて! アタシの弟子なら、これくらいの窮地、笑って乗り越えなさい!」
少年の瞳に、涙が溜まる。だが、アリスの瞳を見て、震える足で立ち上がった。そうしてロリーナの手を引き、駆け出す。
「およよ? 逃がさないよぉ!」
〈白の騎士〉が鎖を放つ。だが、その投擲ルートに、アリスは自らの躯体を滑り込ませた。
胸郭中央、ジェネレーターの直上にカギ爪が食い込む。
視界が赤く染まり、致命的なエラーメッセージが思考のすべてを埋め尽くす。
「捕まえたわ」
アリスは、自身の胸に突き刺さった二本の鎖を抱きかかえた。そのまま全力で男を引き寄せ、自らの躯体ごとぐるぐる巻きに拘束する。
「な、なんだ!? 離せ、この機械っ!」
「いいえ、離さない。……一緒に行くわよ」
アリスは残されたエネルギーのすべてを両脚に注ぎ込んだ。目的地はない。ただ、チャールズたちのいる場所から、この男を遠ざければいい。
走り出したアリスの背後で、逃げ損ねたモヒカン男たちが腰を抜かしている。
降りしきる雨の中、アリスは駆けた。
思考回路を駆け巡るのは、チャールズと過ごした騒がしくも温かな日々の断片だ。
初めてハンマーを持たせた日の、戸惑った顔。
修理が成功して、一緒に食べた油っぽいピザ。
生意気な口を叩きながらも、こっそり店の掃除をしていた後ろ姿。
──雨の日も、悪くないわね。
「こ、〈コード〉発動! 止まれ、シャットダウンしろ!!」
腕の中で喚く男の声。
アリスの頭脳に、冷酷な停止命令が突き刺さる。
意識が遠のき、世界が白く染まっていく。
だが、アリスは微笑んだ。
「遅いわ。……よかったじゃない、アタシの腕の中で眠れてね」
アリスの頬に、〈コード・レッド〉発動の影響による赤黒い亀裂が刻まれていく。
躯体が蒼い光を帯び、過負荷による放電を開始した。
直後、激しい雷鳴と共に、紫電が天と地を一直線に貫いた。
† † †
二十年後。
地球の片隅、一年中雪に覆われた深い山村。
新雪を踏みしめる足音が、静まり返った夜の森に響いていた。
「……はぁっ、はぁっ……。もうすぐ、着くから……。諦めないで……ドド」
若い女性のダイナが、ニット帽を深く被り、冷たい息を吐き出しながら雪道を進んでいた。その背中には、フルフェイスのマスクを装着した小さな子供が背負われている。
子供の首筋には、血管のような赤黒い亀裂が走り、時折パチパチと不吉な火花が散っていた。
「……姉ちゃん、ぼく、もう……」
「ダメよ、喋っちゃ。あそこに見える灯りが、チャールズ先生の家よ」
ダイナは必死に足を動かした。
この二十年で、世界はさらに変わった。人間の機械化──サイボーグ技術は特権階級の象徴となり、一方で、純粋なヒューマノイドは「旧時代の遺物」として激しい迫害の対象となっている。
製造は法で禁じられ、生き残った個体も、些細な理由で〈コード・レッド〉を発動させられ、廃棄される。
ダイナにとって、背負ったヒューマノイドのドドは、血の繋がらない──いや、血よりも濃い絆で結ばれた、たった一人の家族だった。
「死なせない。絶対、助けてもらうんだから」
たどり着いた山小屋の戸を、最後の力を振り絞って叩いた。勢いよく開いたドアの向こうから、一人の青年が姿を現した。
チェック柄のシャツに、使い込まれたデニムのエプロン。柔和な顔立ちだが、その漆黒の瞳には、計り知れない叡智と、底知れない深い哀しみが宿っている。
「ヒューマノイドメカニックの、チャールズ先生……ですよね?」
「……その子は?」
「ドドが、学校を見ていただけなのに……人間に〈コード〉を……。先生、お願いします……っ!」
泣き崩れるダイナを、青年──チャールズは静かに見つめた。何も言わず、ストレッチャーに横たえたドドの容態を確認する。
「一度発動した〈コード〉を止めるのは、今の法律じゃ死刑に相当する重罪だ。……分かってるのか」
「構いません。この子が助かるなら、私は何だって……!」
チャールズは一瞬だけ、遠い空を見るような目をした。
そして、部屋の奥に向かって声をかける。
「ロリーナさん、準備をしてくれ。オペを始める」
「はいな。いつでもええで、先生」
萌葱色の着物を纏ったヒューマノイドの女性が、慣れた手つきで医療器具を並べる。彼女の左腕は、白磁のように美しいが、最新鋭のパーツへと換装されていた。
チャールズはエプロンのポケットから、一本のハンマーを取り出した。
柄が鮮やかな黄色に塗られた、古びた、けれど完璧に手入れされた〈ヴォーパル〉だった。
「……先生、ドドは助かりますか?」
ダイナの問いに、チャールズは力強く頷いた。
「任せろ。オレが、必ず救ってみせる」
それは驕りではなく、この二十年間、積み重ねてきた確信だった。
一度失われたデータは戻らない。だが、壊れたパーツは直せる。途切れた約束は、次の世代へと繋ぐことができる。
カカカカッ、と軽やかなナノマシンの動作音が響き始めた。
チャールズの指先は、まるで魔法のように複雑な回路を解きほぐし、再構築していく。
そのリズムに合わせて、黄色いハンマーが、静かに揺れた。
(見ていてくれ、師匠)
彼は心の中で、あの日果たせなかった約束を繰り返した。
自分を犠牲にしてまで守ってくれた、あの眩しい笑顔を。
今度は自分が、誰かのために灯す番だ。
降り続く雪は、すべてを白く覆い隠していく。
だが、山小屋から漏れる温かな灯りと、小気味よい鎚の音だけは、決して消えることはなかった。
告知
先行公開日:2022年2月26日 一般公開日:2022年4月2日
カバーデザイン:VGプラスデザイン部
