おとめ座、夏の終わり生まれ。好きなクレープはシュガーバター。そして現代ジャズのファン。
城南中学校生徒会役員選挙「カレーVSラーメン」
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「私が生徒会長になったあかつきには給食の献立すべてをカレーにします」
二年二組の高橋さんは体育館の壇上に立ち、らんらんと輝く瞳で全校生徒に語りかけた。候補者演説が始まってすぐのことだった。
全校生徒の半数が熱狂的な拍手をした。しかし、もう半数の生徒はそれが気に入らないかのようにただ立っているだけだった。実のところ、拍手をしなかった生徒らはもう一人の候補者を応援している。
給食の献立をすべてラーメンにすることをうたっている候補者、二年七組の市川くんだ。
今、城南中学校には「カレーVSラーメン」の風が吹き荒れている。
*
きっかけは三ヶ月前の給食の献立表だった。木曜日と金曜日の献立がまちがってあべこべに印刷されていたのだ。木曜日の給食の時間、ラーメンが出てくると思っていた生徒たちの前に、実際に配膳されたのはラーメンではなくカレーだった。
「カレーだ! ラッキ~」
二年二組の高橋さんは喜びの声をあげた。すると、いつもまじめな山中くんという生徒がガタっと立ち上がって声を荒げた。
「カレーよりもラーメンの方が嬉しいではありませんか!」
二人の間で始まった言い合いだったが、おもしろがった生徒たちも加勢していき、やがてクラス中が口論に加わった。
翌日の金曜日、今度はカレーではなくラーメンが配膳された時、カレーかラーメンかという話題はすでに学校中を席巻していた。
生涯に一種類の料理しか食べられないのならば健康を考えてカレーがいいだろう、という意見があった。それに対して、一種類しか食べられないという身勝手な制約をつけるのは許されない、ラーメンの方が人気なのはラーメン屋の多さを見ればあきらかである、という反論があった。
話題は次第に党派性を帯び、生徒たちはカレー派とラーメン派とに分かれていくことになった。
この騒ぎをおもしろがった理科担当の教員が授業の中で「カレーの流体力学」という小噺を披露した。それに対抗するかのように数学担当教員は「ラーメン店行列の待ち時間推定」という内容を授業で取り上げた。生徒たちは授業を熱心に聞き、もっとラーメンとカレーについて授業で取り上げてほしいという声を上げた。
この話を耳にした教頭は、生徒たちの熱量を授業に向けるため、積極的にカレーとラーメンの話題を授業に取り入れることを推奨した。
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二年七組の市川くんはラーメン派の生徒の一人だった。給食のラーメンが楽しみで、教室の隅に貼ってある献立表のラーメンの日に赤い油性ペンで丸をつけているほどだった。
ある日献立表を確認した市川くんは、カレーの日に緑色の丸が描かれているのを見つける。わざとらしいほどに大きく、ラーメンの赤い丸に対抗するかのようであった。
市川くんは献立表に描かれた緑色の丸を憎々しげに睨みつけ、何かを覚悟した表情をして席に戻っていった。
次の日の朝のことである。いつも一番早く登校してくる佐々城さんという生徒がいた。佐々城さんは読書好きだったのだが、兄弟が多いので家でゆっくりと本を読むことができなかった。そのために早く登校して静かな教室で読書を愉しむのが習慣になっていた。
この日もいつものようにミステリー小説を片手に読みながら登校してきた佐々城さんだったが、視界の隅に映る教室の光景に何か違和感があるような気がしていた。小説の中の探偵の推理に夢中になっていたところ、ページをめくるタイミングで顔を上げた佐々城さんの目にそれが飛び込んだ。
カレーVSラーメン
教室の黒板の上に、黄色の蛍光色のビニールテープによってその言葉が形作られていた。攻撃的なビジュアルが、まるでミステリー小説に出てくる殺人現場みたいだと佐々城さんは思った。
他の生徒たちが登校してくるにつれ、校舎中が騒がしくなっていった。「カレーVSラーメン」という言葉は一年生から三年生までの全てのクラスの黒板に残されていた。
この事件の首謀者は生徒たちの瞳の中に「カレーVSラーメン」という象徴的な標語を焼きつけることに成功した。
それは標語であって標語ではなかった。生徒たち、教員たちの心の底にあった相手陣営に対する怒りの導線へと着火し、カレーかラーメンかという対立は、異常ともいえる熱狂を伴って一気に燃え上がった。
そこからはいくつもの事件と争いの日々があった。そのうちの代表的なものを紹介しよう。
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・カレー派かラーメン派かいずれかに所属することが義務化され、自分の所属する料理を表すピンバッジを胸元につけることになった。
・授業は生徒の所属する派閥ごとに分かれて行うことになり、同派閥の教員が授業を担当することになった。
・カレー部及びラーメン部が新設され、他の部活に所属している生徒の多数も兼部することになった。カレー部、ラーメン部の主な活動は、給食の献立にカレーあるいはラーメンを増やすためのロビー活動であった。
・文芸部が「カレーVSラーメン」をテーマにしたマイクロノベルバトル企画を開催した。校内から作品を募り、どちらの作品が多く投稿されたかによって勝敗が決着するという企画であった。カレー八十三作品、ラーメン七十二作品が集まりわずかな差でカレーが勝利をおさめることになった。
・ラーメン派増員のために中国からの留学生が誘致された。彼らは日本式ラーメンとは異なる中国式のラーメンの精髄を給食センターの職員に伝授し、給食のラーメンのレパートリーを増やした。カレー派はそれに対抗すべくインドからの留学生を誘致した。
・ラーメンスパイ事件。カレー派の教頭が、ラーメン派の拠点となっていたラーメン屋に入っていく瞬間が撮影された。スクープ記事が校内新聞に載り、教頭はラーメン派のスパイであったことが判明した。
・これを受けてカレー派かラーメン派かを生体現象から検知できる判定装置を技術担当の教員が開発した。
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全て挙げることができないが、そのほかにも大小様々な事件があった。
やがて、すべての給食はカレーかあるいはラーメン、その二種類だけとなり、ただその勢力の強さによって献立が決められるのみであった。
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生徒会役員選挙が「カレーVSラーメン」の最終決戦の場になるのは当然のことだった。
立候補した生徒は二人。カレー派代表として二年二組の高橋さん、ラーメン派代表として二年七組の市川くんだ。
論点は給食の献立をすべてカレーにするかラーメンにするか。ただその一点を争う単一論点選挙であった。
今まさに、生徒一同、教職員が体育館に集まり、候補者演説がはじまった。
「私が生徒会長になったあかつきには、給食の献立すべてをカレーにします」
高橋さんが体育館の壇上から語りはじめた。
「四十六億年前の話からはじめましょう。はじまりは暗黒の宇宙を漂っていたガスでした。ガスは時間をかけて徐々に冷え、固まり、そして無数の塵が生まれました。それらの塵が集まり、互いにぶつかりあって岩石となり、やがてひとつの巨大な岩石の塊が生まれました。それが私たちが住む星、地球です。原初の地球では、地表に降り注ぐ無数の微惑星によって、その表面には爛れたマグマの光景がどこまでも広がっていました」
高橋さんの話を聞く生徒たちの顔に困惑の表情が浮かんでいる。給食の話はいったいどうなったのだろうか、カレー派の生徒ですら頭の中にその疑問が浮かんだ。高橋さんはゆっくりと生徒たちを見渡した。
「カレーとは、原初の地球の相似形、そして料理によるタイムマシンなのです。あのマグマの塊だった地球上に、四十六億年の時を経て、私たち人類が登場し、そして、カレーをはじめとした私たちが食べているありとあらゆる料理が生まれることになりました。これは魔法も科学も超えた神秘的な出来事です。今、四十六億年が経って、私たちの料理は生まれ故郷であるマグマへと還ります。カレーとは、灼熱のマグマそのもの、地球が過去を懐かしんで思い出すため、私たち人類に作らせた料理なのです。カレーを毎日食べることは、本来の地球へと還る行い、適切で満ち足りた行為なのです。私に投票をして毎日カレーを食べましょう。二年二組高橋に一票をよろしくお願いします。ご清聴ありがとうございました」
高橋さんがマイクから一歩下がりお辞儀をした。その瞬間にカレー派の生徒たちからの熱狂的な歓声が上がった。ラーメン派の生徒たちはまるで理解ができないといった風に立ちすくんでいる。カレー派の拍手が鳴り止んで、高橋さんと交代するように壇上に市川くんが登壇した。
市川くんの候補者演説がはじまった。
「僕が生徒会長になったら、毎日給食でラーメンを食べられるようにします」
いつもの市川くんとは違い、低く堂々とした声が体育館に響き渡った。この日のために市川くんはボイストレーニング教室に通って、信頼感のある声を出せるように練習してきたのだ。
「食事の喜びとはすなわち生きる糧を体に取り込む喜びです。生きる糧とはすなわちエネルギー。エネルギーを効率的に摂取できるかどうか、それは食材の可食部の全長に比例します。つまり食べ物は長ければ長いほど喜ばしいということなのです。古来から世界中のいたるところで麺料理が作られてきたのはそのためです。ラーメンは特にそれを指向しています。人間の胃腸をはじめとした消化管、その長さはおよそ九メートルにも及び、エネルギーの吸収効率を高めます」
市川くんは自分の演説が生徒たちに伝わっているのかどうか見渡して確認をした。話せば話すほどに自信が出てきて、どんどんと話すのが楽しくなっていった。
「ラーメンのどんぶりに描かれている龍とはすなわち長さを尊ぶ象徴であり、そして人間の長い胃腸そのものなのであります。ラーメンの黄色く輝く透明で清潔な麺は、エネルギーを効率的に摂取することで食事の喜びの最大化を目指したもの、そしてそれは未来に向けてもっと長く、もっと喜ばしいものになっていくことでしょう。毎日ラーメンを食べることは、毎日が喜ばしいものとなることを意味します。僕に投票して、みなさんもラーメンと共に食事の喜びを味わいましょう。僕の選挙演説は以上になります。ありがとうございました」
市川くんがお辞儀をすると、ラーメン派による盛大な「ラーメン! ラーメン! ラーメン!」というラーメンコールが行われた。
*
選挙演説が終わると投票が始まった。全校生徒八百人がそれぞれ一票を持ち、カレー派の高橋さん、ラーメン派の市川くんどちらかの名前を投票用紙に記載して投票箱に入れていく。
一票が入るごとに、吹奏楽部の真壁くん広崎くんのペアが、シンバルとティンパニーを同時に鳴らし「ドバシャーン」という音色で場を盛り上げた。
全ての投票が終了し、即座に開票作業が行われることになった。選挙管理委員会による慎重な作業によって票が数え上げられる。結果はリアルタイムで体育館のスクリーンに投影され、高橋さんへの投票数でありカレー派を表す緑色の棒グラフと、市川くんへの投票数でありラーメンを表す赤色の棒グラフが天を目掛けてぐんぐんと伸びていく。
結果は、なんとカレーとラーメンが四百票ずつ同数で並ぶことになってしまった。
するとそこへ、体育館の扉が音を立てて開き、一人の小柄な生徒が入ってきた。全員の視線を浴びながら、その生徒は松葉杖をついて一年一組の担任教師の元へと歩いていく。教師がその生徒へ声をかけた。
「もう登校できるようになったのか、骨谷? 半年も入院して大変だったな」
「ええ。今何をしているんですか?」
「次期の生徒会長を決める選挙だ。すべての給食がカレーになるのか、ラーメンになるのか決まる大事な選挙なんだ。今まさにカレーとラーメンが同数で並んでいる。投票するんだ骨谷。お前の一票で学校の給食の未来が決まるのだ」
カレー派とラーメン派、両陣営全員の思いがこもった視線が、骨谷というこの生徒に突き刺さる。
骨谷はおもむろに口を開いた。
「あのー、来年度から給食は廃止になってお弁当持参になるんじゃありませんでしたっけ……? 半年ぐらい前にお知らせのプリントを貰った気がします。それと僕、カレーとラーメンより大学芋の方が好きですね。大学芋に一票です」
スクリーンの上に大学芋を表す黄金色の棒グラフが現れて、一票分だけグラフが伸び上がった。
真壁くん広崎くんのペアが楽器を鳴らし、体育館には「ドバシャーン」という音色が響き渡った。