
犬のマイクロノベル
鈴木無音「愛犬写真を見せてくれる人たちありがとう」
よそんちの愛犬写真が羨ましくて、記憶投影機を買った。思い描いた記憶が写真になるらしい。
実家の愛犬は、柴犬に似た中型犬。小麦色の短毛で瞳も茶色。巻き貝みたいに丸まった尻尾をぶんぶん振る。外飼いが一般的な時代だったから、ガレージの片隅に古着や毛布を敷いた段ボールの家。畦道が散歩コースで、晩年も散歩が好きだった。草むらを歩きたがるから、ひっつき虫を取ってあげたものだ。ああそうだ、口周りは白かったのに口ひげだけは黒かった。
結局、記憶投影機は使わなかった。思いだしたら愛しくて、胸がいっぱいになったから。
鳥原継接「ウォッチドッグタイマ」
頭の上から、ざふざふざふと前足で雪をかく音がして再起動。フリーズから目覚めると、いつのまにか周りは雪に沈み、白一色だ。また、眠ってしまった。寝落ちするたび僕を叩き起こす君は、やっぱり雪が好きなのか。降り積もった雪の上を四つ足で跳ねるように進む。少し進んでは立ち止まり、舌を出して後ろを振り返る。わかったもう少し頑張るよ。君は僕のエンジンが温かいから一緒にいるのか? それとも最後のおもちゃだと思ってる? もしかして、僕が人間に似ているから? なんでもいいか。君はたのしそうだし。一緒に遊ぶとしよう、動けなくなるまで。
北野勇作「パートナー」
壊れた犬の壊れてない部分を集めて、壊れてない犬を作る。犬がもう新たに作られなくなってからも、人と犬とが共に過ごせる時間をわずかでも延長しようと作られた施設だ。壊れた人を集めて作られた人が管理している。
井瀬やおら「かわりわんこ」
あまりの寒波。神は「暖あれ」と言われた。するといぬがあった。
職場で神と呼ばれている後藤はメカの達人である。暖房機能を備えた四脚ロボットなんて朝飯前だ。古代生物オオカミの子をモチーフにしたロボットは口から灼熱の炎を吐く。これが耐熱スーツを温めるのにちょうどよいと評判になった。しっぽの回転で熱冷ましもできる。
職員たちは好きな名前をロボットに登録した。その名を呼べば登録者のところに駆け寄ってくる仕組みだ。引く手あまたでいつも所定の位置にはいない。やがてロボットの共通名はいぬとなった。
後藤はそのいぬを見て、良しとされた。
虫太「いい感じの棒」
「クマよけになるでしょ」
「ネコに威嚇されてもぼくの後ろに隠れるんだよ?」
そんなこと言いながら妻に連れられて来たキャンプ。リードを外した真っ白なクヌートはあちこちを嗅ぎながら林を歩いた。
(飯ごうを吊る棒と薪だったな)
ぼくらのおつかいだ。動画を撮ってアップするらしい。
いつものようにクヌートが拾った枝を得意げに見せに来た。それが今日、はじめて役に立った。
(そうか。覚えててくれたんだ)
何万年も昔、ぼくら人類と犬が槍や柵や薪に使う「いい感じの棒」を一緒に探していたときのことを、ぼくも不意に思い出したような気がした。
いわかみあ「さわさわと毛並みの海の背を撫でてまなざしのあたたかさ 犬の夢」
布団で眠っていた。一緒に寝ていた犬のか細い声が聞こえる。読書灯をつけた。オレンジの光のなかで犬の顔半分が機械化していた。思わず叫んで犬の背中を見る。薄茶色の毛並みがどんどん銀色の金属に変わっていく。止められないと直感した。泣きながら背中を撫でてやった。湿った鼻が機械化するなか、犬はくぅんと鳴いた。左前脚に触れる。手のなかでゆっくりと機械になるのが分かった。閉じた目を開けると機械になった犬が見つめていた。そのまなざしは犬のままだった。布団に座って首を傾げる犬を撫でてやった。
師田隆由「お散歩」
愛犬のトングはもうずいぶんお爺ちゃんなんだけど、家の中では用を足さない。だからこんな真夜中でも、ぼくはお散歩に出かける。いつものコース、公園の池を一周くるりとまわる。トングはとことこ、あちこちの匂いをパトロールしながら、マイペースで歩いている。まん丸で大きな月が水面に揺れている。僕らは立ち止まってそれを眺める。きれいだねえ、トング。あくび混じりに君が言う。ぽちゃりと水のはねる音、くけけと何かの笑う声。通り過ぎるゆったりとした風が、そんな音をどこかに連れて行く。多分もうじき私のことも。トングがこちらを見上げて一声あげて、それからとことこ歩き出す。ぼくはリードを強く握って、その後について行く。
朝本箍「ブリリアントわんわん」
夜道、光る犬を連れた人が歩いていた。犬は全体的にふんわりとし、黄から緑、赤に青と賑やかに偏光している。舌のはみ出た小さな口が愛らしく、思わず連れた人へカラフルですねと話かければ、夜道は危険なので少しでも目立てばと笑った。
私の犬は暖色系の光で、と常に携帯している映像媒体を見せるとこれはすごいと目を丸くしてくれる。私のポメ蔵は名前とは異なり雑種の中型犬で、ピンとした耳先から尾先まで暖色が波打つよう光ることが自慢なのだ。どんな方法で?
そう言われてから、この時代ではまだ犬は光らないことを思い出す。うっかりだ。
無川凡二「選んだもの」
西暦21XX年。遺伝子技術が解禁され、空前絶後の遺伝子組換えブームが起きる。
「やっぱり猫耳かなぁ......私猫っぽいし? でも犬耳も良いなぁ」
大人気なのは犬と猫。一度混ぜたら除けない。皆が選択に迷う中で、ブームを牽引したスターがメディアに映し出される。
「最初は何にするか凄く悩みませんでしたか?」
レポーターの問いに犬耳の青年は首を振る。
「いいえ、僕は最初から一択だったので」
彼は微笑み、かつて前足だったものをカメラへと振った。
後に歴史に記されたのは、遺伝子技術の解禁ではなく、文明の独占禁止だった。わん。
瑠東睦果「犬とおもちゃとブラックホール」
うちの犬が、ブラックホールを掘り当てた。それはまだ小さく、成長しきる前のブラックホールだったので、そのまま埋め直そうかとも考えた。だが、良いおもちゃを見つけたと尻尾を振るうちの犬の方が、それを離してはくれない。仕方ないので、持ち帰って犬小屋の隅に置くことにした。周りの物を吸い込みながら今も少しずつ大きくなるブラックホールを使い、犬は今日も楽しそうに遊んでいる。
藤田雅矢「犬犬犬」
治ったと思っていたけれど、久しぶりに「犬」を見た。犬の字の成り立ちは象形文字で、頭を上にして横から見た姿。「、」は耳で、右下に伸びる払いが尻尾だ。飛蚊症ならぬ、漢文症という奇病らしい。動物の犬が「犬」の字に見える。日常生活に支障があるわけではない。ある日、三頭の「犬」が互いに追いかけ、輪になって走り回っていた。すると一陣の風が吹き、「犬」たちは空へと舞い上がり「猋」となって消えていった。つむじ風だ。それ以来、「犬」たちは次々と「猋」となって私の世界から消えてしまった。だが、久しぶりに「犬」を見た。そして「人」も。
曾根崎十三「犬ブラッシングおじさん」
犬ブラッシングおじさんは神出鬼没。犬ブラッシングおじさんは「僕トリマーの資格持ってるんで、お宅のわんちゃんブラッシングして良いですか」と許可を得て、マイブラシで犬を愛情こめて丁寧にブラッシングする。全国の犬スポットに現れる。ドッグランとか。そういう都市伝説。犬ブラッシングおじさんは犬の抜け毛を集めている。集めた毛で最強の犬を作ろうとしてる。力太郎的な要領で。犬ブラッシングおじさんは自分の犬が欲しい。しかし、願いが叶った犬ブラッシングおじさんは、もう犬ブラッシングおじさんではないかもしれない。だが、それも良い。
関元聡「父の犬」
生前の父のアルバムを見ていたら、妙なことに気づいた。白くて右の耳だけ黒い犬が、いつも写真の隅から父の方を見ているのだ。赤ん坊の父、七五三の父、入学式、卒業式、結婚式、そして幼い私を抱いた父の傍にも、まるで父の生涯に寄り添うようにその犬はいた。別々の犬かと思ったがそうじゃない。半世紀以上の間、少しも変わらぬ姿のまま父を見守っているのだ。その写真を見た母が、まあシロじゃないの!と叫んだ。この子はね、あの人が亡くなるしばらく前に保健所から連れてきたのよ。ずっと行方不明になっていたのに、まさかこんな所にいるなんてねえ。
谷脇栗太「全種類の犬」
「地獄がいい。地獄には全種類の犬がいるから」と言って果奈さんは下向き三角を指で押し込んだ。液晶の数字が1820から1819、1818とゆっくり減ってゆく。
「君はどうするの」と果奈さん。
僕は天国に行く。選べると知った時からそう決めていたのに、上向き三角に乗せた指に力が入らない。深呼吸しようと目を瞑れば、果奈さんとの短い日々と、見たことのない種類の犬たちの笑った顔が延々瞼の上を流れてゆく。その永遠みたいなエンドロールを全部見終わって目を開ける。数字はようやく1760を切ったところで、エレベーターの影も形もまだ見えない。
山崎朝日「フォルダ365」
フォルダ365と銘打たれたフォルダの中に、その映像はあった。1から364までの、あるいは366以降のフォルダがどこにあるのか、少なくとも私の船の中には見当たらない。何かしらの不具合で、膨大な記録の中から移動されずに残ってしまったものか、あるいは逆に、それだけを抜き出してきたのか。
毛足の短い茶色い犬が、細長いパンをくわえて歩きながら、時々撮影者を振り仰ぐ。それを上から撮っている。ただそれだけの映像だ。
泣きたくなった時、別に悲しいわけではないが、泣く、ということをしたくなった時、私はこのフォルダを開くことにしている。
鈴鈴木無音著者
鈴木無音著者
『京都SFアンソロジー:ここに浮かぶ景色』、フラッシュフィクション専門ペーパー『CALL magazine』に短編小説を寄稿。「歴史的な日」で第三回かぐやSFコンテストの最終候補に選出される。
鳥鳥原継接著者
鳥原継接著者
サークル文文文庫のメンバーとして、多数のテーマアンソロジーに寄稿。2022年には「空っぽの惑星酒」で第4回百合文芸小説コンテストのpixiv賞を受賞。2024年には「終身永年懐古厨(略」で、さなコン2024 粕谷知世賞を受賞。
1962年生まれ。小説家、SF作家、役者。1992年に『昔、火星のあった場所』で第4回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。2001年、『かめくん』で第22回日本SF大賞を受賞。近年はマイクロノベルの伝道師として、ほぼ毎日Twitterに【ほぼ百字小説】をあげており、2020年にはそのうち200編を収録した『100文字SF』(早川書房)を出版。毎週水曜日21時より、谷脇クリタ、蜂本みさと共に「犬と街灯とラジオ」(通称:犬街ラジオ)をツイキャスで配信。トークと共に朗読を披露している。
井井瀬やおら著者
井瀬やおら著者
犬によく吠えられる。
秘密結社サンカクカンケイのメンバー。『サンカクカンケイ』vol.2「穴」に、O市を舞台にした連作ショート・ショート、突・究・穽・窃・窺・空という怪作を執筆している、隠れた鬼才だ。また、小説投稿サイトカクヨムにも短編小説を投稿している。架空のラジオ番組の書き起こし「権威、モグラ太郎先生の回」は思わずくすりと笑ってしまう、ユーモアに満ちた連作。ドイツ在住。自身のブログにてドイツの移民、トランスフォビア、フェミニズムなどについての動向や記事を紹介している。短編集『卒業式のリハーサルで泣くやつ: 虫太短編集』、『宇宙時代のマナー講座』などを刊行している。
いいわかみあ著者
いわかみあ著者
小説、詩、短歌を執筆し、SNSや小説家になろうでも発表している。第8回私立古賀裕人文学祭(通称:古賀コン)に、幼馴染の高哉との思い出を綴った短編小説「いつかは天才になる」で参加。
師師田隆由著者
師田隆由著者
『うさぎSFアンソロジー ウはうさぎさんのウ/R is for Rabbit』に寄稿しているほか、一徳元就名義で『生物SFアンソロジー:なまものの方舟』や『スタジアムアンソロジー』など多数の同人誌に短編小説を寄稿。
朝朝本箍著者
朝本箍著者
ノベルアップ+やカクヨムなどの小説投稿サイトに作品を投稿。Pixivのパルム小説・エッセイコンテストで、エッセイ「アイスクリーム言葉」パルム賞を受賞。X(旧Twitter)に140字小説を投稿している。
無無川凡二著者
無川凡二著者
小説投稿サイト「小説家になろう」でファンタジーやSF作品を発表。文芸創作サークル負犬連合で活動しており、『行方』など、サークルで刊行するアンソロジーに短編小説を寄稿している。
瑠瑠東睦果著者
瑠東睦果著者
小説投稿サイトPixivに、身体改造をめぐる百合小説「私の奇怪な機械愛」を投稿している。現在は、カクヨムで開催されている「わたしのアイドル」コンテストに、「焦がれ焦がれて憧れは」で参加中。
藤藤田雅矢著者
藤田雅矢著者
『糞袋』で第7回日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞を受賞しデビュー。絵本や園芸実用書も刊行している。『京都SFアンソロジー:ここに浮かぶ景色』に京都府立植物園を舞台にした「シダーローズの時間」を寄稿。
曾曾根崎十三著者
曾根崎十三著者
サークル「ねぎてん」、〈破滅派〉などで文学フリマを中心に作品を発表。2025年には、第2回人生逆噴射文学賞にて「わくわくふれあいパーク」が南阿佐ヶ谷TALKINGBOX賞を受賞。
関関元聡著者
関元聡著者
第9回・第10回日経「星新一賞」で一般部門グランプリを二年連続受賞。 2024年に『地球へのSF』(早川書房)、『 野球SF傑作選ベストナイン2024』(Kaguya Books)に短編小説を寄稿しデビュー。
大阪にあるリトルプレス/インディーズ出版物の販売所 兼 ギャラリー〈犬と街灯〉の店主。イラストレーター、デザイナー、作家として様々な創作活動を行なっており、井上彼方編『SFアンソロジー 新月/朧木果樹園の軌跡』(Kaguya Books)の装画・装幀や、架空の島々を舞台にした文芸アンソロジー『貝楼諸島へ/貝楼諸島より』(2022) など書籍の企画・編集を手掛けている。粘土で作った架空の島を売る島売人としての顔も併せ持つ。口に出して読みたくなるリズミカルな文体の持ち主で、2022年には自身の短編集『ペテロと犬たち』を発行。朗読活動も精力的に行なっており、各地のイベントや毎週水曜日に配信している〈犬街ラジオ〉で朗読を披露している。
山山崎朝日著者
山崎朝日著者
「火喰い」で、プロアマ混合の文芸オープントーナメント第五回ブンゲイファイトクラブ(BFC5)の一次選考通過、「暁の魚」でBFC6の二次選考を通過。カクヨムで開催されたペンギンSFアンソロジーに参加。