静岡の夢
10,633字
ぼくは夢が苦手だ。とっくに忘れてしまっていたはずの感情を蘇らせる夢はなおさら。痛みを食い止めるためにぼくたちが作り上げる心の壁はあまりにも脆いので、馬鹿げた夢を一つ見ただけで崩れ去ってしまう。夢の中では年月は意味を持たず、時間は形を失う。ぼくがどうして今のぼくなのかを忘れてしまう。
とはいえ、今ぼくはここにいる。七年ぶりに日本に戻ったのだ。約束を果たすために。ぼくは七年前に一郎と約束したのだ。彼はメディア論を教える大学教授で、ぼくと同じようにヤクザ映画を愛しているので意気投合した。その頃、ぼくは妻のタリアと共に静岡を訪れた。ぼくの作品「動く夢の絵画」の特別展に出席するために。高名な芸術家たちや科学者たちの見た夢をもとにした3Dの短編映画を制作し、出来上がった作品をホログラフのキャンバスに投影する。そしてそれらはランダムな順序でループ再生される。なので展示会を訪れた一人一人が、少しずつ違った体験をすることになるのだ。一郎が特に気に入ったのは中国の名高い芸術家である高鳳翰に焦点を当てたものだった。高は彼の生きた時代では十本の指に入るトップクラスの芸術家だと考えられている。心臓発作のせいで右手を使えなくなった。なので彼は左手でしか描くことができなかった。皮肉なことに、左手で描かざるを得なかった作品によって、彼は名声を得たのだ。ぼくが彼のために作り出した夢の中では、世界中の人々が利き手を変えなければならなくなる。
ぼくが静岡に滞在した期間は短かかったが、それでも記憶に残るものだった。一郎は静岡の名物料理をご馳走したいと言い、また彼の担当している授業で学生たちに話をしてもらいたいとも言ってくれた。近いうちに戻ってくるよ、とぼくは約束した。2020年に妻と戻るつもりでいた。そしてパンデミックが始まり、全てがストップした。ぼくと妻はコロナに感染し、特にぼくは重症だった。ひどく苦しくて、死ぬのではないかと思った。ぼくは生き残ったが、結婚生活の方はそうはいかなかった。丸一年の間、狭いアパートに閉じこもっていたことで、ぼくたちの最悪の部分が表に出てしまったのだと思う。
誰も覚えていないかもしれない、誰も気にかけていないかもしれない約束を守ろうとぼくに決意させたのは、馬鹿げた頑固さだったのだと思う。今になって約束を守ることで、ぼくは本当に生き残ったのだと運命に思い知らせてやりたかったのだ。
東京から静岡への新幹線に乗っていると、どうしても富士山が目に入る。超特急列車は静岡駅で止まる。'静かな丘'、'穏やかな岡'という意味の二つの漢字を、ぼくは目にする。七年前と同じホテルに、ぼくは泊まる。ロビーの赤い絨毯は以前と同じようにすり減ったままだが、涼やかな海風が古臭さを打ち消してくれる。ホテルは駅のすぐ近くなので、案内された部屋にいると列車の行き来する音が耳につく。建物の反対側の部屋に変えて欲しいと頼む。幸運なことに閑散期だったので、ぼくの言うとおりにしてもらえる。荷物を整理すると、ぼくは一郎に会いに出かける。
東京の持つ煮詰まったようなエネルギーは大好きだが、静岡にも独特の'静かな'熱気が存在する。隠されたエネルギーから生じる熱が。賑やかな大都会と比べると、行き交う人の数ははるかに少ないが、それでも何千人もの人々が目に見えぬゴールへと進んでいくのを見る。謎めいた夢を映像化するという作業を愛するぼくは、彼らの後について行って、一人一人が夜見る夢を知りたいなあと思う。家路を急いでいる女性は、家族全員の頭がエビになってしまった夢を見ているのでは。アニメキャラが描かれた服を着ている年配の男性は、巨大な昆虫がいっぱいいる森の中を飛んでいる夢を見ているのではないかな。
一郎の姿が目に入り、やっと直接会えて嬉しくなる。彼は穏やかな物腰で、注意深く言葉を選ぶ人物だ。そしてギャングのボスのような低いバリトンの声で話す。ヤクザ映画におあつらえ向きだ。
「静岡への旅はどうだった?」と彼が尋ねる。
「現実とは思えなかったね」とぼくは答える。「戻ってこられるとは思っていなかったから」
ぼくたちは地元の料理店'武市'に向かう。もう一月なのに、静岡の繁華街にはクリスマスのイルミネーションが輝いている。グレイスケールのキャンバスに投影される玉虫色の光のようだ。クリスマスの静岡市は美しいし、桜の季節の'静岡まつり'はさらに素晴らしいよ、と一郎は言う。ぼくたちは宝泰寺の横を通りかかる。落ち着いた佇まいの建物で、夜なので閉門している。サールナートホールの真横にある寺だ。サールナートホールはヨーロッパの建物のような劇場で、ブッダが初めて悟りを得たインドの村にちなんで名付けられた。
静岡のとびきりの料理が出るんだぜと一郎が約束してくれた武市に着く。彼の友人である潤と、ここで合流することになっている。潤はぼくの作品のファンで、ぼくのヤクザ映画愛にインスパイアされた'未来のギャングたち'が特にお気に入りらしい。随分前からでないと予約を取るのが難しい店だと一郎は言う。だが、店のオーナーが潤と親しいので、手を打ってくれたのだと。
そこが本当にいい店かどうかを見分けるポイントは観光客の数だと、タリアはよく言っていた。ネットでバズることを熱望していそうなインフルエンサーたちや、スマホ片手の観光客たちが目に入らないのは良い兆候だ。入り口でぼくたちは靴を脱ぎ、店のオーナーである大将が直々にもてなしてくれるというカウンター席へと通される。
薄いダウンジャケットを着た白髪頭の潤は、会計事務所の重役だ。潤は黒澤の映画やビリー・ジョエルのファンなんだ、と一郎(一郎と潤は近々ビリー・ジョエルのコンサートを観に東京へ行くのだという)。ビールで乾杯した後、ぼくがどこから映像のアイデアを得るのかと潤は尋ねる。あらゆるところから、とぼくは答える。それからこう説明する。前回静岡に来た時、ぼくは家康のことを知り、日本統一を成し遂げた後で静岡に隠居したということからアイデアを刺激された。ぼくは信長、秀吉、そして家康の物語を聞いて育った。駿府城で彼らの(少なくとも家康の)レガシーに触れることは特別な体験だったんだ。
「ロボットに取って代わられることを心配するギャングというアイデアはどこから?」潤が尋ねる。ギャングとロボットの戦いを描いた、ぼくの作品のことを言っているのだ。
「ぼくたち誰もが機械に取って代わられることを心配しているよね」とぼくは答える。「ギャングだって人間だから」
「ギャングたちとすべての人類に!」と次の料理が出されたタイミングで潤は乾杯する。
活気に溢れた大将の姿と、ツルツルの頭を見て、フランスの哲学者ミシェル・フーコーに似ているな、とぼくは思う。二人とも同じように、人間とは何かを追求している。違うのは我らが大将は実存主義の解明に料理を使っているという点だ。ここでの食事は権力よりは意志と呼ぶべきものだ。料理経験主義のポストモダン的解説。すべての料理にエレガンスがある。食材の持つリズムに合わせた、系統立ったものだ。十種のコースというよりはアートギャラリーだな、とぼくは思う。食事の間中ずっと、ぼくは一郎が注意深く食器を片付けて、出された時の位置にきちんと戻しているのに気づき、同じようにしようとする。
「今の若者たちはやくざ映画のクラシックを、ぼくらのようには楽しまないんだ」と一郎。「時代も精神性も変わってしまった」
昔のヤクザ映画は驚くほど緊迫感に満ちていてペースも速いよね、と一郎は続ける。と同時に、皮肉な自意識がある。特に深作欣二の作品には。彼はヤクザを決して美化しない。その代わりに手持ちカメラを駆使して、極端に暴露的なスタイルを使うから、壁に止まった蝉を見ているみたいな気分になる。アメリカの多くのギャング映画と違って、ヤクザは傲慢によって自滅していく猛る神々ではないんだ。深作映画のヤクザたちは劫罰を受けている。幻の仁義に縋りつきながら、なんとかして生き延びようと虚しく足掻くのだ。
「古い世代がありがたがるものは必ず流行遅れになるんだ。そして新しい世代が自分たちの夢中になれるものを見出す。古いものの中には、時を経て、新たなファンたちに発見されて、クラシックだと見なされるようになるものもある。そうならなかったものたちは、過去の残酷な忘却の中に消え去って、永遠に失われてしまうのさ」禅問答のような調子で一郎は語る。時間というものの不可避性(あるいは不可知性)を受けいれているかの如く。
コースの締めとなるのは、見事に調理された魚肉の炊き込みご飯だ。タリアがいたらどんなに喜んだことだろう。料理とともに緑茶が出される。眠れなくなってしまうので、いつもならぼくは夜にカフェインを摂取しない。だが今夜は例外だ。そしてお茶は炊き込みご飯の味に見事にマッチする。もう一つ胃袋があれば、もっと食べられるのにな。
食事が終わると一郎がぼくに言う「妻が待っているので帰るよ。でもね、潤は君を特別なカラオケ・クラブに連れて行きたいんだって。もし興味があればね。彼の兄は闇社会にコネがあるらしい」
興味がないわけない。
ぜひ行ってみたい、とぼく。ただし、純粋に'取材'目的で。ヤクザ映画で、日本の'クラブ'は随分見てきたが、行ったことはなかったのだ。「いいとも」と潤は言って、クラブに電話をかけ、ぼくが五十分だけ店にいられるコースを手配してくれる。店内の写真を撮る許可も店長に予め取ってくれる。
素晴らしい料理をありがとう、とぼくは大将に礼を言う。
店を出ると一郎はニヤリと笑い「厄介ごとに巻き込まれないように」と言う。
彼は駅に向かう。
潤はぼくを静岡のいかがわしい一角へと導いていく。
ほんの数区画の地域だ。特別価格で作り物の欲望を満たしてあげると訴えかける照明で数々のビルが飾られている。けばけばしいスーツを着て、カラフルな髪色の、ヤクザ映画に出てきそうな男たちが数人、目に入る。彼らは獲物を探しているはずなのだが、潤の姿に気づくと、声をかけようとはしなくなる。
「もし、彼らについて行ったら、ぼったくられることになるのかな?」
「そうとも」さらりと潤が答える。
君が直接ホステスたちと会話できるように、外国人向けのクラブを選んでおいたよ、と潤。エレベーターで四階まで上がる。ドアが三つある。右側のドアからぼくたちは店内に入る。
クラブの中にはスーツ姿の男たちが十二名ほど。彼らには何人かのホステスたちが付いていて、飲み物を作ったり、カラオケで一緒に歌ったりしている。喫煙もできるようだ。ホステスたちが、ぼくらの上着を脱がせてくれる。
前回来た時に入れたボトルがまだあるはずだと潤は言う。「週に数回来るんだ」と潤。
高子という名の若いホステスが潤に気づいて「お帰りなさい!」と叫び、彼を優しく抱きしめる。明るい色のドレスを着た彼女は、白い肌に豪華なバランスクラスの真珠飾りを付けている。彼女はぼくにも挨拶し、アメリカについていくつか質問する。サラリーマンたちは歌っている。あなたも何か歌う?と高子が尋ねる。潤はビリー・ジョエルが好きだったよな、とぼくは思い出し、「マイ・ライフ」が入っていることを確認する。
また何人かのホステスがやってくる。
そのうちの一人がぼくの隣に腰を下ろす。京子という名だ。京子は花嫁衣装のようなドレスを着ている。ただし、ジャラジャラとした飾りがたくさん付いているのだが。
「私の夫は去年死んじゃったの」と彼女は言ってぼくの反応を窺う。
いきなりそんなことを言われてびっくりしたぼくは、とりあえずお悔やみを口にする。それ以上のことを知りたいと思わないが、最初の一年は幸せだったのよ、と彼女の方はさらに話を続ける。旦那の事業が続け様に失敗したことで、二人の関係は息苦しいものになっていったとのこと。最後に手がけていたビジネスで、信用していたパートナーに事業資金を持ち逃げされるという失態は、特に旦那にはキツかったらしい。彼は酒浸りになり、いつも不機嫌で、二人は口論ばかりするようになった。彼は何週間も家を空けるようになり、たまに戻ってくると必ず喧嘩になった。深酒とストレスが祟って、とうとう彼は心臓発作で死んでしまった。彼女は結婚前は工場で働いていたのだが、二人の間に生まれた娘たちを育てるためにホステスになったのだという。
「ここで働いて娘たちに送金しているの」と京子は説明してくれる。「いい仕事よ。新しい人たちと知り合うことも楽しいしね」
この仕事は友人に紹介されたのだという。この店のホステスはほとんど外国人で、気のいい子たちばかりだとのこと。店長も面倒見がいいのよ。前に働いていた店では、みんな競争意識が強くて、働くのが大変だったの。あなたのお仕事は? と彼女。ちょっとばかり自意識過剰気味に「アーティスト」とぼくは答える。結婚しているの? と彼女。コロナ禍の後で別れちゃったんだ、とぼくは答えるが、それ以上は話さない。で、さらに彼女の身の上を尋ねる。彼女は大喜びで話してくれる。が、そこでビリー・ジョエルの「マイ・ライフ」の前奏が流れ出す。
潤とぼくは歌詞を通じて部屋にいる人々に、ぼくたちは好きなように生きるし、文句があるやつはほっといてくれ!と訴える。
次はボン・ジョヴィを一緒に歌いましょうと京子が提案し、「ベッド・オブ・ローゼズ」を選んでくれる。この歌は知らないが、まあなんとかなるだろう。前奏が流れ出すと京子はマイクをつかみ、いきなりしゃんとする。彼女の歌声と言葉の全てに悲しみと苦しみが満ち満ちているので、歌詞に登場する'釘でできたベッド'に今でも彼女は横たわっているかのようだ。
歌い終わると彼女は告白する「今でも彼の夢を見るの。目が覚めると、あの人がもういないことを忘れているの。隣に寝ているんだと思っちゃうのよ。もういないと気づくと悲しくなって」
ぼくたちのグラスが空になることはない。なんだか眩暈がする。高子と京子はぼくたちのところを離れて、別のサラリーマンたちの相手をする。
高子と知り合ってからどれくらい経つのかと、ぼくは潤に尋ねる。この店に通うようになって一年になるんだ、と潤。人はこのお店のようなカラオケクラブに何を求めてくるのかな、とぼくは真剣に潤に尋ねる。
「愛なんてのは子供騙しさ」と彼は言う。「孤独から一時的に逃れられれば十分だ」
「これが君にとっての一時的逃避なのかい?」
「ぼくの人生さ」と、二人で歌った曲に引っ掛けて、笑いながら彼は答える。
サラリーマンたちは皆席を立つ。彼らの持ち時間は終わったのだ。彼らは互いにお辞儀をする。ホステスたちは彼らと戯れあい、寂しいから、またすぐに来てね、と甘えた声を出す。サラリーマンたちにコートを渡して送り出す。
高子と京子が、ぼくたちのところに戻って来る。
静岡には美しい神社がいくつもあるから行ってみるべきよ、と京子がぼくに言う。魚介類も美味しいのよ。ふと目をやると、潤はうつらうつらしている。もう帰らなきゃ、とぼくは言うが、あの人はいつもこうだから心配しないで、と高子は言い張る。すぐに元気に目を覚ますわよ。店員がニューボトル、それもとびきり高価なやつ、を持ってきて、いや、やめてくれ、とぼくは言い、潤を起こす。これがこの店のやり方なのかもしれないが、ぼくらがカモにされているような気がしたのだ。
目覚めた潤は大丈夫だよと言って、見たばかりの夢を話してくれる。「言葉が話せなくなって、黒澤の映画を通じてしか、人に自分の意思を伝えられなくなるんだ。「椿三十郎」と「羅生門」と「隠し砦の三悪人」を使おうとしたんだけれど、誰もわかってくれなくて」
呂律が回っていないと言って高子は潤をからかい、二人はいちゃつき始める。神社を案内してあげたいんだけれど、明日は予定があるの?と京子がぼくに尋ねる。一郎の授業にゲスト講師として参加することになっているから、とぼくは丁寧に断る。だが、それだけが理由ではない。京子を見ていると、ぼくがここにきた本当の理由を思い出してしまうのだ。
もう帰るよ、とぼくは潤に告げ、彼はニューボトルを入れることを断って勘定を払う。五十分滞在の費用はバカ高いものだった。ぼくも出すよと言ったが、潤はここはおごると言って聞かなかった。
高子と京子はエレベーターまでぼくらを案内し、一緒に下まで降りる。二人はぼくらにお辞儀し、また来てねと声をかける。ぼくにはわかっている。ぼくはここに二度と来ることはないし、次の客が来れば、二人ともぼくのことなど忘れてしまうのだと。それでもぼくは丁寧にお辞儀を返し、彼女たちに礼を言う。
潤はぼくをホテルまで送ってくれる。「あの店に連れて行ってくれてありがとう」と彼に言う。
少々酔っ払った彼は言う「地獄のような夜もあれば、天国みたいな夜もある。でも、忘れられない夜には、その両方の要素があるんだ」
ちょっと頭を下げて彼は帰っていく。
まだホテルに戻る気分になれない。ぼくは少しその辺りを散歩する。七年前にタリアと散歩したように。酔っ払って、夜中に静岡の通りを歩き回るというのは寂しいものだ。タリアが静岡のことをとても気に入っていたことを思い出す。引っ越しちゃおうか、とまで話したりしていた。今、この瞬間、ぼくの周りには誰もいない。キラキラ光るネオンの灯が影を作っている。幽霊なんか信じていないぼくだけど、一瞬見てしまったような気になる。男性で、悲しげで、じっとぼくを見ている。ぼくは瞬きをする。幽霊の姿は消える。静かなる岡は不安を掻き立てる。
ホテルに戻ってベッドに入ったが眠れない。何度も寝返りを打つ。スマホで音楽を聴き、それからポッドキャストを続けざまに聴いてみる。だめだ。どうしても眠くならない。そうだ、緑茶のせいだ。ぼくは滅多にカフェインを摂取しないので、夜になってから少し飲んだだけでも眠れなくなるのだ。まずい。なんとか眠ろうとしているうちに午前四時。少しは眠れたような気もするが、定かではない。いつもは夢を見たことで、眠っていたとわかるのだが、夢は全く見なかった。眠っているのか、目覚めているのかもはっきりしない。
朝になり、一郎がタクシーで迎えに来る。
「よく眠れたかい?」タクシーに乗り込むぼくに一郎が尋ねる。
「残念ながら」とぼくは答えて、緑茶のことを話す。
授業の後で地元のラジオ局がインタビューしたいそうなんだけど、と彼。前回来た時と同じホストが担当するらしいんだけど、大丈夫? 疲れてない?
大丈夫、とぼくは答える。英和学院大学に到着。街全体を見下ろす丘の上にある。ここからみる静岡の街は最高だ。
最初に図書館に向かう。ぼくの作品を展示してくれているのだ。感動したぼくは司書たちに礼を言いながら、子供の頃図書館で長い時間を過ごしたことを思い出す。それからぼくたちは教室に向かう。一郎のかつての教え子の一人が挨拶してくれる。彼女はウエディング・プランナーを目指す学生たちに教える講師になったのだ。残念なことに、コロナ禍が街の結婚のトレンドを変えてしまった。なので彼女は旅行業にシフトしようとしているという。「キツかったですよね」と彼女。「すべての結婚が違法になるという、あなたの夢を作品化したものは刺激的でした。未来の結婚式がどうなるかなんてわからないし、結婚式そのものが、未来にも存在するのかしら?」
現代美術の教授が来て話に加わる。彼はアメリカ美術と詩が混じり合う形式が大好きで、今から十年後、人工知能によるアートが発達すると美術界はどうなるのだろうかと興味津々だという。地元紙の記者もそこにいて、とても親切にしてくれる。あまりバカなことを言わないようにしないと。
本日参加予定の授業は二つ。大抵の場合、ぼくは学生たちと話すことが好きだし、自分のキャリアについては率直に話すことにしている。ぼくが育ってきたのとは全く違った未来に、彼らが直面することになるとわかっているからだ。AI、大変なインフレ、労働市場の縮小、そしてさまざまなカオスのことを思うと、彼らは今後どのような未来を生きるのだろうと考えてしまう。
質疑応答の時、学生たちは、アイデアの出どころや、さまざまなポップカルチャーの影響や、ぼくの作品についての細かい質問をしてくれる。そして一人の学生が尋ねる。
「あなたのこれまで最大の失敗はなんですか?」
いい質問だ。勇気を与えるような返答をすべきだろう。だがタリアに関する幾千もの想いが一瞬のうちに、ぼくの脳裏を駆け抜けたことなど、彼は知りはしない。どうやら寝不足の疲れが出てきたようだ。
ぼくの感覚は絶望に歪み、悲しみが記憶を台無しにする。自分の過去と麻雀をして負け続けるようなものだ。タリアと過ごした時間はすべて完璧なものだと思いたいが、そうではなかったとわかっている。交わす言葉が剣となり、互いに与える苦痛を少しでも大きくしようとすることもあった。最悪だったのは戦いが終わった時ではなかった。そうではなくて二人の喧嘩が惰性となり、互いのことなどどうでも良くなった時だ。鋭い棘よりも無関心の方が人を傷つける。沈黙は致命的だ。
だが、ぼくはそんなことを一切口にしない。その代わり、何度も自作を否定された苦労話をする。
ぼくも歳を取ったな。
授業の後、ぼくたちはラジオ局に向かい、二時間の番組に出演する。前回の来日時にも会ったパーソナリテイの石井さんに、久しぶりに会えて嬉しくなる(そうだ。ぼくとタリアは彼にバルカン人式の挨拶をしたんだった。だけど、その時彼は咄嗟に挨拶を返せなくて、今回こそはと七年間練習していたのだとのこと)。
生放送で緊張していたが、石井さんは完璧なホストだった。テクノロジーとアートの混合について、それが社会の規範や語りの形式をどのように変えているかについてのおしゃべりは楽しい。二時間はあっという間に過ぎ、アドレナリンを分泌して興奮したぼくは喋り続ける。石井さんは、展覧会の次に手掛けているプロジェクトについての質問で番組を終えようとする。正直に答えざるを得ない。「アイデアはいくらでもあるんですがね。まだ何にも取り掛かっていないのです」
「あなたの展覧会にあった作品みたいですね。ムカデが何百もの肖像画を一度に描こうとしつつ、なにも完成させられないというやつですよ」
ぼくの状況を見事に要約した言葉だったので、ぼくはぎくりとする。
その後、一郎はぼくを焼津にある、すき焼きの店に連れて行ってくれる。焼津は静岡から電車で十五分ほどの場所だ。娘と共に店を切り盛りする女将は画家でもある。肉質は素晴らしく、良い香りのタレも絶品だ。満腹になっても食べることをやめられない。女将はぼくたちに金粉入りの酒を出してくれる。幸運を呼ぶのだそうだ。喉越しの良い日本酒はすき焼きにぴったりだ。
女将の描いた絵が店内に飾ってある。空に炎を吹き上げている火山の噴火だ。その絵が噴出する、質感とエネルギーは驚くべきものだ。
「娘が生まれる直前に見た夢を絵にしたんです。とてもはっきりと覚えているわ」彼女はぼくにいう。「特別な娘になるとわかったんですよ」
「とてもパワフルですね」とぼくは彼女に言う。「ぼくが生まれる時にママが見たのは、子犬の夢だったそうです」
女将も一郎もこれには大笑い。
ぼくは作品について、さらに女将に質問する。時間がある時はいつでも絵筆を手に取るのだという。
「アーティストにできる最高のことは感情を掻き立てることです」と女将。「無感覚こそが最悪の敵ですね」
「よく言った!」と一郎。「火口に落ちていくような気分にしてくれるアートは、どんなものであれ傑作だよね。でもこっそりと心に迫ってくるような静かな作品もいいな。最初はなんとも思わないのに、一週間もすると心の中から追い出せなくなってしまうような。取り憑かれてしまうようなね」
取り憑かれるのも悪くはないよねと、ぼくたちは乾杯し、食事はお開きとなる。ぼくは女将に、とても美味しかったと言い、いつかまたぜひ来たいと告げる。女将はぼくたちを店の外までお見送りしてくれる。
一郎とぼくが駅へ向かう途中、人気のあるロボットアニメに出てくる女子高生のような格好の二十代の女性が道の隅に駆け寄って嘔吐するのが目に入った。大丈夫かな?と思ったが、その女性はぼくたちに「すみません」と言って歩き去る。
電車の中では、一人の若い女性が手袋と格闘中だ。なんとか手に嵌めようとしても、うまくいかない。互いに腹を立てているカップルが気まずく黙り込んでいる。喧嘩なんてなんの役にも立たないよ、と言ってやりたくなる。だが、彼らは耳を貸しはしないだろう。ぼくも貸さなかった。疲れた様子の老人がネクタイを緩め、座席で文庫本を読んでいる。過去のことも未来のことも考えてはいないのだろう。
ぼくたちはホテルにたどり着く。ロビーで一郎は、来てくれてありがとう、と改めてぼくに礼を言い、ぼくは招いてくれてありがとう、と言う。明朝には東京に発つけど、静岡はとても楽しかったよ、と。「君がここでの食事を思い出してくれるように、かみさんが君に箸をプレゼントしてくれって」と言いながら、彼はぼくに袋を渡す。
「奥様によろしく」とぼくは感謝の言葉を返す。
部屋に戻って荷造りを始める。突然、ここ静岡でタリアがぼくの手を握りながら言った言葉を思い出す。「この時間が永遠に続けばいいのに」
深夜になって、ようやく眠気が襲ってくる。横になり眠りに落ちる。市場にいる夢を見る。一人の商人が蛾の幼虫と、炒めた芋虫を、菓子として売っている。農夫たちがリンゴくらいの大きさの苺や、ひまわりの種を大安売りしている。裕福な客たちはスクーターに乗って人ごみの中を進み、平民たちは碁の勝負を熱心に見物している。歩いているうちに、水ではなく花が流れている川にたどり着く。とてもいい香りなので、ぼくは花を食べ始めて、やがて満腹になり、そしてぼくは自分が変身していくのを感じる。ぼくはカラスとなって静岡の上空を飛翔している。そこで知り合った全ての人たちの顔が見えて、ぼくはカーっと大きく鳴く。時が溶ける。
目が覚めると朝になっている。夢は終わったのだ。
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ピーター・トライアス著者
ピーター・トライアス著者
第二次世界大戦で枢軸国が勝利した世界線のアメリカを描いた歴史改変SFの三部作『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』、『メカ・サムライ・エンパイア』、『サイバー・ショーグン・レボリューション』(いずれも中原尚哉訳・早川書房) などで、日本でも人気のSF作家。『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』と『メカ・サムライ・エンパイア』はともに星雲賞の海外長編部門を受賞。最新作はKILL OR BE KILLED。かつてFacebook, Pixer, EAなどに勤務していた経験がある。静岡を愛し、また近いうちに訪ねたいと思っている。