ホーム

ぱいなつぷるばばあ

ぱいなつぷるばばあ

5,548文字
 
(※性加害を想起させる描写があります。)


今からお話しするのは、全て「ぱいなつぷるばばあ」についての目撃情報でございます。
私が「ぱいなつぷるばばあ」について調べ始めたのは、今から二十年ほど前のことです。私は建築事務所をやっており、知人に頼まれて築五十年ほどの団地の耐震調査に出向くことになりました。関西の田舎町、私鉄の駅からバスで十分ほど行ったところにある、何の変哲もないベッドタウンでございます。いえ、団地の名前はどうでもよいのでございます。どこにでもある、という点が重要なのでございます。知人といってもはるか昔、親父が大学時代に世話になったとかならなかったとかいう、よく知らない老人の依頼人は、調査費を提示すると微妙な返事をよこしました。辟易しなかったと言えば嘘になりますが、とはいえ住人たちにとっては生活に根ざした深刻な問題だと思えば自然と真心も湧き、結局のところ非常に破格の金額で、私は調査を請け負うことにしました。

団地のエリアごとに割り当てられている公民館の一室を使ってよいことになり、私と老人は数日間そこに寄り合いました。公民館は二階建てで、外に屋上までの階段が付いており、その階段で近所の子供が遊んでいます。エアコンがないのには参りましたが、汗ばんだポロシャツが窓からの風に吹かれ、子供の笑い声などが聞こえてくると、なかなかどうして良い町じゃあないかという気になります。そうして仕事の合間に聞き耳を立てていて出会ったのが、「ぱいなつぷるばばあ」の名前でした。当時、私は四十も半ばだったかと思いますが、自分の子供時代にもその名前を聞いたことがあったので驚きました。私の故郷は名古屋の都市部で、大学進学を機に関西へ越してきました。時と土地を超えて全く同じ名前を子供たちが口にしているものですから、何だか可笑しくなりました。

それで「ぱいなつぷるばばあ」が何なのかと申しますと、階段に出る妖怪とでも言おうか、学校の怪談的存在でございます。じゃんけんをしてグーなら三文字、チョキとパーなら六文字分の段差を登ったり降りたりして順位を競う、あの遊びに由来する名前だと思われます。「ばばあ」は、まあ、そのままの意味です。

階段に出るばばあの妖怪。

その逸話はどれも恐ろしく、私の時代には「ぱいなつぷるばばあにパーで負けると階段に吸い込まれる」という説が一世を風靡していました。夕方五時を過ぎても階段でじゃんけん遊びをしていると、いつの間にか一番下の段に、しわしわの老婆がニタニタ笑いながら立っている。老婆は「最初はパー」と言って勝手にじゃんけんに加わる。それがぱいなつぷるばばあである。ぱいなつぷるばばあにパーを出して負けてはいけない。負けると、そのパーの形にした手をがっしりと掴まれて階段に吸い込まれてしまうから。ぱいなつぷるばばあにパーを出されて負けてはいけない。負けると、そのパーの形にした手にがっしりと掴まれて階段に吸い込まれてしまうから。ぱいなつぷるばばあに負けてはいけない。負けると、吸い込まれた階段の裏側で永遠にじゃんけん遊びをさせられて帰ってこられなくなるから……。今思えばひたすらチョキを出し続ければよさそうなものですが、当時はとにかく未知の世界に連れ去ろうとするぱいなつぷるばばあが怖くて仕方がなく、私たちはしばしば「じゃんけん遊びなんか地味でつまらない」と強がって、サッカーの方が楽しいふりをしたものでした。

しかし盗み聞きを続けていると、私の知っているものとは随分と異なる話もあるようでした。すっかり面白くなった私は、それ以来「ぱいなつぷるばばあ」に関する調査を独自に行うようになりました。調べていくうちに、「ぱいなつぷるばばあ」の目撃談は学校や団地や公園の階段にとどまらず、会社や工場やビルの階段、果ては階段のない場所に現れることさえあるようでした。名前の由来もさまざまで、それでもなぜか皆「ぱいなつぷるばばあ」なのでした。それに、私は自分の記憶が一番古いとばかり思っていましたが、もっと年配の人からも話を聞くことができました。その一部をここへ記しておこうと思った次第でございます。
  
⚫︎名前を集める老婆

1990年代後半の奈良の団地での話。

自然豊かながら市街地へのアクセスの良さが売りの、人気の団地だった。棟ごとに駐車場があり、駐車場の階段横の掲示板に、そこに住む全世帯の苗字が書き込まれた地図が貼り出されていた。その階段にときどき老婆が一人ぽつんと座っていて、通りかかった人に名前を聞くという。老婆が現れるのは大抵平日の昼間なので、声をかけられた人はあまり警戒せず、家が分からなくなったのであろう高齢者を助けようと応じる。自分の苗字を答え、おばあさん、今はこの辺りですよ、と地図を指して教えようとすると老婆は首を振り、下の名前を言うようにせがむ。手にはテープレコーダーを持っていて、マイクに向かって下の名前を言うようにせがむ。答えるとパイン飴をくれるので「ぱいなつぷるばばあ」と呼ばれるようになった。パイン飴は老婆のポケットで温められて溶けている。飴を食べた者は団地から姿を消すという。稀に老婆がテープを再生しているところに出くわすと、一言ずつ、異なる人物の声で流れてくるアケミ、シズカ、カオル、ユキコ、ヨシノ、ハルカ、シュウ、アキコ、エリコ、サチカ、タマキ、ユウキ、タツノ、ユキコ、アキラ、サエコ、エミ、ハル、マリカ……。
  
⚫︎荷物を燃やす老婆

2000年代半ばの福岡での話。

北部の海に近い田舎町に食品工場があった。東京のある大きなメーカーの生産拠点として建てられたその工場は町のシンボルだった。あるとき工場は本社から子会社化され、名前も変えられた。本社から切り離されたことに町の人たちは少しがっかりした。東京から出向に来た本社社員は三年が経った頃、三年前から決まっていた工場の小規模化を告知した。辞令を伝えたのち、彼は心労から体調を崩し妻と子とともに東京へ戻っていった。パート従業員たちは二か月の猶予をもって八割が解雇と決められていた。エントランスに飾られた、かつての工場の五十周年記念の航空写真には、その八割の従業員のほとんどの家が写っていた。最後の出勤日を終え、パート従業員たちが記念写真に写る家に帰っていく。社員だけになった工場の中で、ふいにぱちぱちという音が聞こえた。古い建屋はよく家鳴りがするので、最初は誰も気に留めなかったが、それは家鳴りではなく火の粉の弾ける音だった。気づいたときにはもう遅く、中二階で激しく炎が燃えていた。そこには、パート従業員たちが片付けを済ませ、廃棄することになった機材や私物が間に合わせで積み上げられていた。中二階に通じる内扉は施錠されていたが、赤い火の中でクリーンルーム用の白いウェアを着た老婆が、笑いながら階段を登ったり降りたりしていた。クリーンウェアから唯一見える顔にびっしりと黄色い棘が生えていた。死傷者は出なかったが、一晩のうちに建屋はすべて焼けた。もちろんエントランスの写真も焼けた。工場は閉鎖され、町に残る予定だった社員も各地へ異動していき、誰もいなくなった。広大な空き地となった場所に、ときどきカットパインのパックがお供えされている。かつてパート従業員だった町の人たちが、棘だらけの黄色い老婆を「ぱいなつぷるばばあ」と呼んで祀っているのだという。
  
●監視カメラに映る老婆

2010年代前半の神奈川での話。

深夜、ビルの地下駐車場の監視カメラに、うずくまっている老婆が映る。警備員が現場へ行くと誰もいない。老婆は色々な服装で現れるが、どの服も汚れ破れている。髪は決まってパイナップルのように逆立っている。その髪型から「ぱいなつぷるばばあ」と呼ばれるようになった。
  
●階段の上の影

2011年。神戸。テープ起こしのまま記載。

──学校から帰ってきてな、マンションの階段上がってるときに、下から誰かがついて来てることに気づいてん。多分、知らんおじさん。それで、うち、怖くなって、二段飛ばしで階段上がってんけどな、追いつかれそうになってな。でもそのとき、上にもなんか、知らん人がおるって気づいてん。四階に上がる階段の上の、手すりの壁の影に誰かおって、三階の踊り場に影が伸びてる。でもな、なんかな、怖いとかじゃないねん。それで踊り場を走って手すりを曲がろうとしたら、その「誰か」がダンダンダンダン!ってな、すごい足音立てながら降りてきて、うちとすれ違ってん。よく見えんかったけど、証拠あるで。すれ違ったときスカートの端っこ、ちょっと焦げたもん。よく見えんかったけど、黒くて、なんか大きいかたまりみたいやった。ぱ、い、な、つ、ぷ、る、ぱ、い、な、つ、ぷ、る、って一段ごとに言うてた。そのかたまりがな、下からついて来てたおじさんとぶつかって、そのままぱ、い、な、つ、ぷ、る、ぱ、い、な、つ、ぷ、る、って言いながらダンダンダンダン!って降りて行ってん。だからうち家に走って入ってな、鍵閉めてん。
  
●願いを叶える老婆

T少年(仮名)の1960年代後半の子供時代の思い出。東京近郊。取材日:2021/5/19。

T少年が当時住んでいたアパートの隣の部屋に、おばさんと息子がいた。息子は独り立ちしたあと、離婚してアパートに戻ってきて、そのまま母親と同居しているようだった。あるときから泥酔した息子と思われる怒鳴り声が聞こえてくるようになり、近所の人も気を揉んでいた。ちょうどその頃、学校で「家の前にパイン缶を置いておくと、夜中に『ぱいなつぷるばばあ』がやってきて何でも願いを叶えてくれる」という噂が流行った。おばさんに懐いていたT少年はこの噂を信じた。家の台所から缶詰を盗んできて、ドアの前に置いた。私は砂糖の代わりに小さく切ったパインとシロップを入れて炊いた寒天が好きだった。南の青空を模した濃い青に黄色い輪っかが踊るラベルは、私にとってどこにあるのか分からない架空の世界だった。夜、T少年がカーテンの影で息をひそめていると、外から「むしゃむしゃ」という音が聞こえてきた。それきり隣の家には誰もいなくなった。廊下には空のパイン缶が二つ転がっていた。
  
●ぱいなつぷるばばあ

2020年代半ばの京都の団地での話。

築五十年ほどの団地は老朽化が懸念され、リノベーションをする前に建物の安全性を確かなものにしたい若い世帯と、大がかりな工事に反対する高齢世帯の間に摩擦が起こった。総会が開かれたが決着はつかず、高齢世帯のうちの一人である棟理事は知人のつてで建築士を呼び、耐震調査をすることにした。理事はもうずいぶん長いあいだ理事だった。何でもいいからお墨付きをもらって、ひとまず議論を終着させることが大切だった。経験がなさそうな若い建築士だったので不満に思ったが、うまいこと良い結果を出してくれればそれでいいと思い直し、管理組合の予算の範囲でやらせることにした。

団地のエリアごとに割り当てられている公民館の一室を使って、理事と建築士は数日間そこに寄り合った。公民館は二階建てで、屋上までの階段で近所の子供が遊んでいた。エアコンのない部屋は窓を開けても初夏のむしむしとした風が通り抜けるだけで、昔を振り返り、あまりの過ごしづらさに理事は閉口した。子どもの声が聞こえてくる。小太りの建築士も同じようにだらだらと汗をかいていて、野暮ったいポロシャツの、ブラジャーが食い込んで二段になった背中の肉が、汗で透けていた。理事はテーブルに広げられた図面を後ろから覗き込むようにして、その背中の肉の段差を触った。建築士が身をよじって「やめてください」と言ったので、理事は憤慨し、「何や、わざと触ったみたいに言って。いい年して。あんたが太ってるから当たったんやろ」と言った。

その瞬間、私は、自分の髪が天を衝くように逆立っているのが分かったのでございます。根元から上に向かうにつれて太く硬くちくちくと尖り、私の髪は公民館の天井に刺さるほど高く立ち上がりました。髪だけではありません。私の肌は二つに割れ、四つに八つに割れ、網目のように分割されて盛り上がり、その一つ一つに星のような形の黄色い棘が生え揃いました。ポロシャツとチノパンから突き出た棘が座っていたパイプ椅子にめり込み、プラスチックの背もたれと座面が割れました。白い合板のテーブルも割れました。図面が床に落ちました。ダンダンダンダンという大きな地響きが轟き、それは私が足を踏み鳴らす音だと気づきました。私の目と耳と鼻と口からは溶けた飴がとめどなく流れ出し、床を覆いました。液状の飴の気泡が弾けると、ぽこぽこという空気の音に混ざって、異なる人物の声で様々な名前が聞こえました。アケミ、シズカ、カオル、ユキコ、ヨシノ、ハルカ、シュウ、アキコ、エリコ、サチカ、タマキ、ユウキ、タツノ、ユキコ、アキラ、サエコ、エミ、ハル、マリカ、キミコ、ヒロコ、ラン、サトミ、マリ、ユウコ、ユカ、ナオミ、エリー、サラ、ユラ、ミリ、マサミ。私は部屋の中にあった全てをむしゃむしゃと食べ、食べ尽くして、大きなかたまりになって、部屋から転がり出ました。ぱ、い、な、つ、ぷ、る、ぱ、い、な、つ、ぷ、る、と一音ずつ唱えながら、その一音ごとに団地の階段を、棟と棟の間の坂を、バス道のコンクリートを押しつぶし、私はどこまでも転がっていきました。

それ以来、私の姿を見た者は誰もおりません。これは公民館の階段で遊んでいた子供たちの証言でございます。こうして私は、「ぱいなつぷるばばあ」と呼ばれるようになったのでございます。いえ、私の名前はどうでも良いのでございます。どこにでもいる、という点が重要なのでございます。

告知

「ヴィラン」特集 掲載作品

作品をより楽しみたい方は、小説に加えて、ヴィランにまつわるコラムやブックレビューを収録した『Kaguya Planet No.6 ヴィラン』をお読みください。

先行公開日:2025年6月21日
カバーデザイン:浅野春美

はらだ有彩著者

    テキスト、イラストレーション、テキスタイルをつくる“テキストレーター”。関西出身。著書に《日本のヤバい女の子》シリーズ(柏書房/角川文庫)、『百女百様 街で見かけた女性たち』(内外出版社)、『女ともだち ガール・ミーツ・ガールから始まる物語』(大和書房)、『ダメじゃないんじゃないんじゃない』(KADOKAWA)がある。デモニッシュな女の子のためのファッションブランド《mon.you.moyo》代表。多数の雑誌・ウェブメディアなどにエッセイ・小説を寄稿している。《日本のヤバい女の子》シリーズの『日本のヤバい女の子 静かなる抵抗』は、昔話で理不尽な目にあう女性たちと時空を超えて語り合い、ときにその不遇に怒り、ときに彼女たちのパワーに賛辞を送り、抵抗の物語として語り直すことを試みた一冊だ。