あらがえ! ぬいぐるみの星
『拡散されてきた画像で拝見したのですが、〈お刺身食べ太郎〉さんが落とされたのって、もしかしてこのぬいぐるみでしょうか?』
シャトルの中継港にて。送信されてきた画像を一目みるなり、人目もはばからず「あっ」と叫んでしまった。写っていたのはもしゃもしゃとしたモップのような小汚い毛玉の固まりで──我が愛しの相棒、〈ムームー〉に違いなかった。
なにせムームーとは八歳の誕生日からの付き合いなのだ。水星の星食い宇宙怪獣を模した彼は両親の手作りで、そんな竹馬の友が有休消化のためのちょっとしたバカンスに同行するのは当然のことだった。彼があるべき場所に収まっていないことに気がついたのは帰りのシャトルの中で、藁にも縋る気持ちで発信したメッセージが、どうやら上手いこと現地まで拡散されたみたいだ。
こんなことがあるなんて! 私は小躍りして喜ぶも、だけど、どうしよう? もう小一時間もすれば次の乗り継ぎ便の定刻だし、明日から仕事だし……なぞと葛藤するも、私は責任感のある大人なので、選ぶべき選択は明白だった。
『今から全力でウチのムームーを受け取りに行きます! もう二度と会えないと諦めていたので、本当にありがとう! とっても嬉しいです!』
個人領域に具体的な受け取りの手段などを綴った量信を送ると、ものの一分足らずで返信が届いた。どうやらかなり「筆まめ」な人らしい。
『彼はムームーちゃんというのですね。不肖、このメーハが大切にお預かりします! なので、慌てて怪我をしないように気をつけてくださいね(笑)』
文面から「メーハ」さんの誠実さが伝わってきてほっとする。よかったね、ムームー。親切な人に拾ってもらえて。
返す刀で職場や同僚にのっぴきならない事情で休暇を伸ばす旨を通達して、そのまま今回の休暇先──〈惑星プパヤム〉にとんぼ帰りすることにする。先に使った通常のシャトルとは違い、中継港から採択できる唯一の星間線である〈亜光速便〉は銀河系の外周を舐めるように迂回するルートを通るらしい。そうなるとプパヤムまでは丸一日以上かかる上に、サーチャージ代の嵩む機種を使うため旅費も目玉が飛び出るくらい高額になってしまう。しかし私にとっては、ムームーにはそれだけの価値があるのだ。
待っててね、ムームー。駄目な相棒でごめん! 今すぐ迎えに行くから! と、私は意気込んで……まぁ、そこまではよかった。
気持ちが落ち着いてくると、反発するように不安が膨らんでくる。
先立つのは、なけなしの社会性について。そも今回の休暇だって上司から強制されてしぶしぶ取ったもので、繁忙期を目前に控えていたのだ。口には出さないけど、みんなから恨まれるだろうな……と今から肩身が狭い思いで一杯になる。
続けて湧いてくるのは──いいトシして、こんなことをしている場合だろうか? という世間体に対する謎めいた後ろめたさ。ただでさえ、ぬいぐるみなのだ。いや、確かに私の人生の規模としては十分に一大事なのだけど。でも世間的には大袈裟に思われるだろうし、馬鹿々々しいことには違いない。
同世代の友人は子育てやら地に足着いた人生設計やらで大忙しなのに、私だけがぬいぐるみのことなんかで大騒ぎしていて……なんだか、途端に情けなくなってしまう。
狭い席に収まりながら、みるみる気持ちが萎んでいくのを感じていたころ。メーハさんから量信が届いた。
『寒くなってきたので、ムームーちゃんにあったかい格好をしてもらいました』
「オヒッ」と変な声が出る。隣席に座っている木星圏の軟体紳士が抗議するように膚を変色させたので、私は「すみません……」と軽く会釈しながら画像を注視する。手編みだろうか? プパヤム独特の鮮やかなエメラルドグリーンの空とオレンジの雲の下で、ムームーは独特な防寒着──球形の毛玉のようなものをいくつも身体に巻きつけ、もこもこになっていた。どうやら現地の民族衣装らしい。
『わーっ! すごい! とっても嬉しいです! わざわざ作ってくれたんですか!? なまらかわいいです! ムームーも、いっぱい喜んでいると思います!』
画像にはムームーと一緒に笑顔の女性も写っていた。おそらくメーハさん本人だろう。複雑な角度で腕と指先を捩じった一種独特のピースサインを得意げに繰り出している。プパヤム滞在時、この手のジェスチャーは一度も見かけたことがなかったので、おそらくメーハさん独自の文化コードがあるのだろう。
ともあれ、突然のかわいさ爆発に先ほどまでの懸念が綺麗さっぱり溶け消える。世間体がなんぼのもんじゃい! ムームーがかわいけりゃ、どうでも良いんじゃい!
結構な枚数の画像がフォルダに格納されていた。季節に沿ってムームーはプパヤムの自然や景観に合わせて華麗に七変化していて(ファッション・リーダーだね! ムームー!)、それらを一枚一枚チェックしながら私は「オッホ」と嬉しい悲鳴を上げてはくねくねと身悶えして、都度隣人を迷惑そうに変色させていたのだが──ちょっと待って? あまりに画像が多すぎるし、寒季? 昨日まで、プパヤムは夏季だったのに?
困惑しながら、私は窓からみえる線状になった無数の星影をみて……合点する。そうか、速すぎるのだ。
反物質エンジンを搭載したシャトルは亜光速で飛ぶが、それでもウラシマ効果──いわゆる相対性理論における「時間の遅れ」の影響は無視できない。私が光の速さで飛ぶ限り、メーハさんの観測する経過時間とずれていく一方で……つまりここでの数分、数時間が向こうでは数ヶ月、数年間に匹敵することになる。速度と時間に隔てられた私たちは、もはや同じ時間を過ごすことができないのだ。
それを裏付けるように、量信が送られてくる。
『早いもので、ムームーちゃんがわたしの元に来てからもう五年も経ってしまいました。今では愛着も湧いてしまい、おかしいですよね。いつかあなたに返さないといけないのに。でも安心してください。プパヤムには繊維に対する高度な保存技術があります。必ず綺麗な状態でお返ししますので』
同封されてくる画像の中に、ムームーと一緒に乳児が写っているものがあった。どうやらメーハさんの子どもらしい。ざわざわと、得も知れない不安が沸き立つ。
息をのむ。数分ごしに送られてくる画像の中で、メーハさんとその息子は着実に月日を重ねていき、それから数時間後には、彼女はすっかり老女になっていた。
『ムームーちゃんを拾ってから、もう三十年も経ってしまいました。おかげさまで、張りのある人生になったと思います。あなたと直接お会いするのを楽しみにしていたけれど、それもどうやら難しいみたい。この先、ムームーちゃんは息子に託すことにします。以後、よろしくお願いします』
『今まで、本当にありがとうございました。素敵な人に拾ってもらえて、ムームーも幸せだったと思います。これからはゆっくりなさってください』
三十年? たったの三十年で? どうやらプパヤムの人たちの平均寿命は百年にも満たないらしい。そんな……私たちのたった数十分の一だ。三十年なんて、私にとっては寝て起きて働いてご飯を食べていたらあっという間に過ぎてしまうくらいの時間に過ぎないのに。でも、メーハさんにとってはそうではなくて……。
目頭を押さえメーハさんに想いを馳せていると、知らないアドレスから量信が届いた。
『母から責務を引き継いだ。息子のコソピェだ。一族の命に懸けて、ぬいぐるみは貴公に必ず返還してみせよう』
文体から、お母さんと比べてすこし堅苦しい印象を受けた。
以降、コソピェは必要最低限の連絡しか寄越してこなかった。まぁ、これに関してはそもそもメーハさんがかなりマメな性質だったということもあるけれど。親子でも、こういうところは似ないものなのだなぁ。と知ったような口をききたくなる。
それからしばらく、私はメーハさん謹製のムームー写真集を噛み締めていたのだけど、ふいにコソピェから送られてきた写真をみて、ぎょっとする。
複数の人物が並んで写っていた。プパヤムの星旗の下で勇ましい顔つきの男女が並び立ち、リーダー格と思しき一際険しい眼力をもつ男性が腰からムームーをぶら下げている。
『元より王族による独裁体制を堅持し続けていた我が星の政権だが、遂にその全権が生来の暴君であるミャグフズ二世に引き継がれた。彼は人権意識に乏しく、王政による星民に対する弾圧も予期される。発展を至上とする新自由主義的な政治方針から、プパヤムの美も大いに毀損されることになるだろう』
『此度、迫りくる危機に立ち向かうため、仲間たちと反政府活動に乗り出すことにした。一緒に写っているのは〈プパヤム解放戦線〉の同志たちだ』
『ムームーは美しきプパヤムを愛した母のよき友人でもあった。その意志を汲み、私もムームーと共に戦う』
『ちょっと待って、弾圧? 反政府活動? 一体、どういうこと?』
唖然としてしまう。なんだか、急にむつかしい話になってきた。弾圧? 王族による独裁政権? 私がプパヤムに滞在していたのはごく短い期間だったけれどそんなものは影もかたちもなくて、なにもかも寝耳に水だった。
にも関わらず、それから送られてくる写真はコソピェが仲間たちと共にデモに参加したり軍人と掴み合いになっている場面ばかりで……なんだか、おっかないな。と思った。政治のことはよくわからないけど、みんなで仲良くできないものだろうか? 彼のお母さんとは気が合う感じだったけど、どうやら息子の彼とはそうでもないみたいだ。
世界の複雑さに耐えきれなくなった私は、しばらくプパヤムから離れて娯楽ネットワークに耽溺した。特に目的もなく、右から左へ流れていくかわいい宇宙動物や愛玩機たちのショート動画などを曖昧に摂取し続けていた。こういうので良いのだ。こういうので……。
私の世界はこのようなかわいさや楽しさで満たされていればおおむね満足で……だけどどうにも引っかかるものがあって、プパヤムについて端末で調べてみた。
【王位継承後、ミャグフズ二世はプパヤムを星系有数の先進惑星とするべく舵を切った】【生産性を向上させるため、惑星一丸となって大躍進を目指す】【新たな王の基本方針に、大多数の星民は諸手を上げて賛同し──】
まるで昨日のことのように思い出すことができた(実際に主観的には昨日のことだったけれど)。私がこの目で見たプパヤムは色とりどりの自然と陽気な人々に囲まれたバカンス地だった。現地では小規模の共同体をゆるく維持して互いに助け合って暮らす文化風習が根付いていて、そのような穏やかさの中で、私はムームーと一緒にのんびりと過ごしていたのだけど……それでも現地の人たちが望むのなら、発展してもべつに構わないと思う。
コソピェの話は、いささか極端ではないだろうか?
そう思いながらいくつかの包括的なニュース面をザッピングしていたのだけど、次の瞬間、絶句する。
眼前で、怒涛の勢いで直近の記事が更新されていく。それらは情報の段瀑と化し、矢継ぎ早に生じては過去方向へ滑り落ちていって……一体、なにが起きている? たしかにこれまでプパヤムとは時間差があったけれど、それでもここまで極端なものではなくて──機内で、アナウンスが降り注いだ。
『──〈マノウォー宇宙航空〉九九九便にご搭乗のお客様へ、機長からご連絡です。進路上に発生中の星間ダスト帯を決断的に突破するため、先ほどより当機は暗黒エネルギーハーネスを併用して最大加速モードへと移行しております。現在、当機は光速の99.9999999935%まで加速しており……』
ぞっとする。シャトルが加速するということは、プパヤムとの間に発生する「時間の遅れ」が、齟齬が更に増大することに他ならず……それがいよいよ、即効性のある現象として顕現していた。
瞬く間にプパヤムが辿る数ヶ月、数年が堆積してゆく。数秒ごとに膨張していく時間の層に気後れして、身体が竦んでしまう。怖い。
それでも発奮していくつかの記事をピックアップしてみると、どんどん状況が悪化していくのがわかった。
【──新王政樹立から十年、星系有数の避暑地だったプパヤムの、あの一種独特の美しい景観は急激な開発によって見る影もなく破壊されつつある】【当初こそ歓迎された加速的経済計画は、星土全域に重度の公害被害を撒き散らした】【また、生産性を向上させるために星民に敷く過度な管理政策も事実上の「弾圧」にあたるとして、星連は再三ミャグフズ王政に警告を発している】【これらの事象群を憂慮する専門家は多いが、しかしこの視座自体が、ある意味では発展途上惑星に対する先進惑星の「奢り」とも見てとれ──】
記事に紐つけられていたある画像──「王政に反発する現地の星民グループ」と称されたそれが目に留まった。灰色に濁った空と海を背にして、ゴミだらけになった砂浜で旗を掲げているコソピェたちの姿と、彼の胸元で不安そうに揺れるムームーの姿が……。
複雑な気持ちになる。今まさに、端末を介して繋がっている人たちが現在進行形で歴史の一ページになっていた。羅列される記事の一行にも満たないような彼らが、途轍もなく大きな「うねり」のようなものに立ち向かおうとしているのだ。
依然として、怖い気持ちはまだあるにはある。だけど少なくとも、彼らが何のために声を上げ、戦っているのか──すっかり変わってしまったプパヤムの景観を通して、その一端を、想いの切れ端程度は理解することができた。
私は量信を送る。
『ニュースをみました。無関係の私が口出しするのは迷惑かも知れませんが、以前のプパヤムを知るひとりとして現状にとても心を痛めています。一日でも早く、あなたたちの故郷に平穏な日々が戻ることをお祈りしています』
こんな吹けば飛ぶようなありきたりな言葉、呑み込んでいた方がましだったかも知れない。私はなんとなく落ち込んでしまって、そんな情けなさとやるせなさの先で、
『ありがとう。激励の言葉、たしかに頂戴した。無関係だなんてとんでもない。あなたとムームーは母の終生の友人だった。面識こそないが、あなたは私にとって遠い親戚のような存在だ。そのような人物から見守って貰えていると思うと、この上なく心強さを感じる。状況は依然として厳しいが、我々は必ずやかつてのプパヤムを取り戻すと貴公とムームーに誓おう』
迎えられた言葉はなんとなく私の目の前を明るく照らして、気持ちが、ちょっぴり通じ合った気がした。
量信は続く。
『私信:先日、家族が増えた。道半ばにして潰えた同志の娘を引き取ることにしたのだ。彼女のためにも、プパヤムの平和を……母と過ごしたあの穏やかな日々を取り戻したい』
添付されてきた一枚の画像、その中にはぎこちなく笑みを浮かべるコソピェと、彼に抱かれる幼児の姿があった。ふたりはメーハさんがやっていた、あの独自のピースサインを指し示していて……彼らのためにも善き未来があるといいな。と思った。
素朴な祈りを込めて、私は彼らの未来を注視して──、
【ミャグフズ王政、抗議デモ集団に対して大規模な軍事介入を敢行。死傷者多数──】
「えっ」
更新された見出しの上で、目が泳ぐ。みえているはずなのに、文字と意味が滑ってゆく。私は息を何度も出し入れして……凍りつくような停滞をたっぷり挟んだあと、唇を噛み締めながら記事を開いた。
顛末は、こう記されていた。ミャグフズによる独裁は留まるところを知らず、生産性と国家への貢献度を数値化する〈社会信用点〉にて星民を管理することを発表した王政を前に、コソピェが発起人となった反政府デモは数万人規模に膨れ上がった。怒れる群衆は勢いもそのままに王族の住まう王宮へと押し寄せたが、しかし為政者たちは反抗を赦さなかった。
軍人たちはあろうことか一般星民に対する無慈悲な攻撃を行い、結果、大多数の犠牲者が出た。死傷者数は簡素な文字の連なりとして記録されていたが、しかしそれは私にとって、もはやただの文字列ではなかった。
あまりのことに放心してしまうも、直後、端末が着信を告げた。
私は祈るような気持ちで量信を解凍するも──『はじめまして。コソピェの娘のキリスィです。父はしにました』
ひゅっ、と喉の奥から息が漏れた。
ああ、なんてこと……。
コソピェとはたかだが数時間の付き合いだったけれど、そこにあったのは圧縮された長い月日でもあった。彼のことを想うと哀しくて、悔しくて、涙が止まらなくなる。
見兼ねたように隣人がハンカチを貸してくれた。軽く会釈して思いっきり鼻をかむと、彼人は驚くように膚を警戒色に変色させた。
『ムームーのこと、お父さんからきいてます。なんとか返してあげたいけど、今はちょっとむずかしいかも』
『お父さんのことは残念でした。ムームーのことは気にしないで。今はただ、あなたたちが健やかに過ごせることを願っています』涙を拭いながら、なんとか量信を送り返すも、
『正直わたしたちには、お父さんたちのことがよくわかりません。なんであんなにがんばっていたのかな?』
思わず眉を顰めてしまう。『あなたは、きれいで平和だったころのプパヤムを取り戻したくはないの?』
返信はコンマ数秒後に届いて『そんなこと言われても、実際にそれをみたことはないもの』
はっとする。そうか。この子たちはかつてのプパヤムの美を、あの独特の、境界が丸ごと溶け込むような空と海の色を知らないのだ。
『昔の記録をみることは禁止されています。過去は間違いだらけで、なにも学ぶことはないって』『余計なことを考えると〈信用点数〉を下げられちゃうから』『王さまの役に立たない大人になると、お父さんみたいになっちゃう』『わたしはみんなよりもどんくさいから、いっぱい、がんばらなきゃ』
今、端末の向こうにいるこの子たちは、幸福を知らない。誰にでも等しく与えられるべき権利を持っていない。在りし日のプパヤムにはひどくありふれていたはずのそれを……。
しょせん私は他人だけど、彼女のためになにかをしてあげたいと思った。お節介かもしれないけど、やらずにはいられなかった。
大切なムームーを預かってもらっているのだ。それくらいの縁はあるはずだ。それくらいの縁で、十分だった。
ささやかな祈りを込めて、私は便りを送る。
『あなたのお婆さんのことを知っています。あなたの故郷が美しかったころを、私は知っています。彼女とムームーは友だちで、ずっと一緒でした』
私はメーハさんから送られてきたかつてのプパヤムの写真を──彼女とムームーが過ごした、美しいころのプパヤムの風景を送り返す。過去から未来へ。切り取られ、定着した刹那と季節たち。彼女の祖母から受け取った愛おしさを、ひと纏めにして。ままならなく、歯がゆくずれていく時間の向こう側へ。
それが今の私にできる精一杯だった。
果たして数分間の間隙を挟んで、言葉が送り返されてくる。
『きれいな写真をありがとう。さっそく友だちにも見せてあげました。みんな、喜んでます。わたしたちの星がこんなにも素敵な場所だったなんて、知りませんでした』
よかった、と思った。プパヤムを覆う残酷さの前では、取るに足らないぬいぐるみの写真だなんて、さして意味はないだろう。どうせ気休めだ。それでも、わずかでも気持ちが休まればいい。私がやったことなんて精々その程度の、なんでもないことだったはずで……でもどうやら、何もかも間違っていたらしい。
私の軽率だったその行為は、結果としてとんでもない事態を引き起こしてしまった。
端末が、着信を告げる。
『ムームーとおばあちゃんの写真、いっぱい拡散されちゃって。ちょっと今、かなり、大変なことになってます』
それってつまり、どういうこと? 訝しむ私に、量信は五月雨式に突き刺って『どうしよう。そんなつもりはなかったのに』『もう、どうしようもないみたい』『怖い』『みんな、怒ってます』
彼女からの量信はそれきり沈黙してしまう。コソピェの一件が脳裏をよぎる。考えられる限り、最悪の末路が。ここでの一分一秒が向こうでは何日にも匹敵していて……。
そうこうしている間にも、プパヤムの近況を綴るニュース群はずらずらと綴られていく。増殖する見知らぬ未来に気圧されそうになるけれど、ぐっと歯を食いしばってそれらを展開する。
見過ごしたくなかった。ムームーと、彼を擁する私の家族たちが暮らすプパヤムのことを。
私は最新の記事に目を通して──ああ、そんな。まさか、そんなことがあるなんて……。
現王政が台頭して以来、ミャグフズによる独裁と圧制を人々は甘んじて受け入れていたが、ある小グループの興した運動が一気にプパヤム全土に波及した、らしい。
きっかけになったのはプパヤムのデータベースに残されていない、「星外から齎されたとある画像群」だった。それらは瞬く間に広まり、活動の象徴となり、プパヤム内に惑星解放運動が一気に広まったと、そのように報じられていた。
──私たちに王様はいらない。私たちは、誰の所有物でもない。誰の役に立つ必要もない。ぬいぐるみのように、ただ在るがままでいたい。
人々は怒れる群れをなし、怪獣のように咆哮した。
解放運動は勢いを増し、ついには数十万規模の人々が独裁者たちの住まう王宮を包囲して、一斉に民意を突きつけた。当然、軍部による鎮圧もあったそうだが──しかし軍人たちは命令に従わなかった。先のコソピェたちの一件は彼らにとっても思うところがあったらしい。人々は声を張り上げ、力の限り旗を振り……かくして、世の中をひっくり返してみせたのだ。
【民意の勝利! 惑星プパヤム、長きに渡る独裁政権、ついに崩壊す!】【ミャグフズ二世、退位を宣言】【有志による〈プパヤム臨時評議会〉設立。議会は民主化憲章を起草。三サイクル以内に全星民選挙の実施を目指す】
解放運動を象徴するポートレートがあった。それは解放された王宮のてっぺんで人々が肩を組んで笑顔を浮かべ、大きな旗を掲げているもので、旗面にプリントされているのはいっぱいに引き延ばされた──プパヤムの美しい空とムームーだった。
『今から何十年も前に、この地を訪れた旅人が残していったかつてのプパヤムの美しい景観が、わたしたちに誇りと憧憬を与えてくれたのです。そうです。誰だって、べつに役に立つ必要なんてない。(旗に目線を送り流れながら)ただこんな風に、のんびり毎日を送れるだけで素晴らしいものなんだって。わたしたちはただ、それを証明したかったのです』
インタビューの中で、一連の活動の発起人となった人物が溌剌と語っていた。直接顔を見たことはなかったが、私は彼女がキリスィであると確信していた。胸元に他ならないムームーをぶら下げていることもあったけど、なにせ彼女が得意気にカメラに向かって繰り出すのはあの奇妙に捩じれた、独特のピースサインだったからだ。
量信が届いた。
『お久しぶりです! 中々連絡できなくてごめんなさい。あれからもう何年も経っちゃいましたね。あのあと、ムームーの画像が星中で話題になって、大きな運動になったんです。このころのプパヤムに戻りたいって。きっとみんな、あの王様のやり口には心底うんざりしていたのでしょうね。でも怖くて誰も立ち上がれなかった。それでもムームーがきっかけになってくれたから、みんな頑張れたんです。勇気をありがとう!』
『知ってるよ! いっぱいがんばったねぇ! ムームーの友人として、私も鼻が高いよ! 本当の本当に、おめでとう!』
あまりに嬉しくて隣人の肩をばんばん叩いてしまう。当然、彼人は憤慨するように全身を七色に変色させるけれど「聞いてください! 今、とっても嬉しいことがあって!」
気持ちを一人で抱えることができなくなって、私は勢いよく語り出す。この数時間で惑星プパヤムが辿った、数奇な歴史のことを。
すると隣人は丁寧に触手を折り畳み、意外と乗り気になって話を聞いてくれた。
それから一体、どうなったのか?
私の長い旅路は終わりを告げ──主観時間としては大したことはなかったが、それでも突発的な超新星爆発や宇宙カルガモ親子の横断などの影響でシャトルが遅延し、予定よりも何百年も到着が遅くなってしまった。その間にも、ムームーは彼女たちの次の世代へと脈々と受け継がれていった。彼はプパヤムの復興を、人々が在りし日の平穏を取り戻す過程をその傍らでちょこんと収まりながら、ずっと見ていたのだ。
そして今日、私はついに友を引き取りに行く。
「──〈お刺身食べ太郎〉さま、ですね? 今日という日を、我々プパヤムの民は一日千秋の想いで待ち焦がれておりました」
神官と思しき民族衣装の人物が、深々と頭を下げた。あろうことか宇宙港まで迎えに来てくれた一団は長い列を成して車両までエスコートしてくれて「なんだか、ひえ~ってカンジ、ですね」
私はすっかり委縮してしまう。
車両の窓から、変質したプパヤムの景観がみえた。
在りし日の意匠を残した文化住宅やかつてはなかった高層建築群などが自然と調和し、あるいはその領域を侵犯し、雑多に広がっている。都市計画は十全とはいえず、ともすれば場当たり的でもあったけれど……だけどそれはプパヤムの人々がなんとかどうにか善くあろうとした、化石のように堆積した試行錯誤の跡だった。
あの頃とはすこし色合いを変えたエメラルド色の空とオレンジの雲の下では、私たちに向かって旗や手を振る人々の列がどこまでも続いている。たくさんの子どもたちが、モップみたいな毛の固まりを抱いていた。それはムームーを模した、星違いの彼のきょうだいたちだ。おまけに水平線と淡く溶け合う空の彼方には、彼を象ったと思しきおそろしく大きな彫像を遠目からでも窺うことができて「ちょっと、大袈裟過ぎじゃないですか……?」あまりのことに、私は苦笑いを浮かべるけど、
「そうは思いません。なにせムームーは私たちの故郷を救った、救星の大英雄なのですから」
神官はさらりと言ってのける。
ひょっとしなくても、かなり、とんでもなく大変なことになっているみたいだ。
「オリジナルの『御神体』は星営博物館で厳重に保管されています。このあと私たちは行政庁へと移動し、〈プパヤムぬいぐるみ大臣〉による〈ムームー大返還式典〉を予定していて……」
「あっ、あの……よろしかったら、ムームーはプパヤムの皆さんに差し上げますので! 名残惜しいけど……でも、こっちにいる方が、もうずっと長いみたいだし……」
紡がれた年月に圧倒され、たじたじになってしまう。我ながら図々しい方だとは思うけれど、それでもここまで大切に、ほとんど文化財のように扱われているムームーを連れて帰るのはさすがに気が引けてしまう。
そんな私の反応を見越してか、神官は慇懃に首を振った。
「とんでもない! 先祖からの『言い伝え』通り、役目を終えた御神体が宙へと還る今日という日は、我々プパヤムの民にとっても大切な日なのです」
それに──と、神官は物々しかった表情をふっとゆるませて「やっぱり自分のぬいとは、一緒に暮らしたいじゃないですか?」
耳打ちするように言って、こっそり衣装の下から自分自身のぬいぐるみを見せてくれた。
「式典が終わったら、みんなのぬいと一緒にお茶をしましょう」
それから得意気に、あの独特のピースサインを繰り出してみせるのだった。
告知
「ホープパンク」特集 掲載作品
作品をより楽しみたい方は、小説に加えて、ホープパンクにまつわるコラムやブックレビューを収録した『Kaguya Planet No.7 ホープパンク』をお読みください。
先行公開日:2025年8月30日
カバーデザイン:VGプラスデザイン部
福岡県出身。『ハチェットマンズ・ディストーション』で第7回ハヤカワSFコンテスト最終候補に選出、宇宙でパーソナルカラー診断を行うお仕事小説「ヒュー/マニアック」で、第2回かぐやSFコンテストの最終候補に選出されている。2022年に『新月/朧木果樹園の軌跡』(Kaguya Books)に「星を打つ」を寄稿してデビュー。「星を打つ」は齋藤隼飛編『野球SF傑作選 ベストナイン2024』(Kaguya Books)に再録された。2024年には『バトルシュライナー・ジョーゴ 崩壊編/黎明編/飛翔編』で、第12回ハヤカワSFコンテスト最終候補に選出された。〈水色残酷事件〉というサークル名で同人誌を発行しており、近刊は『美味しんぼエッセイアンソロジー 恋愛編 ZigZagに恋して!』。
