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袋のなかはビッグバン

袋のなかはビッグバン

10,042文字
 
「店長、荷物届いたんですけど、どこに置けばいいですか?」

巻くん(魚座)は、ずっとわたし(双子座)のことをこのグッズショップの店長だと思っている。店長ならどれほど良かったか! 実際には勤続年数のぶん彼より時給がちょっと高いだけで、わたしも他人より少し天文に通じている程度の派遣のひとりにすぎない。でも生まれてから干支が二周と半するまでのあいだ、末尾に「長」がつく役職に恵まれてこなかったわたしは、思わず上がってしまう口角をどうどうとなだめながら、もうしばらく黙っていることにする。
「送り状にはなんて書いてある?」

巻くんは抱えた段ボール箱のふたに視線を落とす。彼の前髪はピンクから群青へとゆるやかにグラデーションするメッシュだ。カラーリストさんにはいつも「(さそり)座の青い馬頭星雲のイメージで」と伝えるのだが、それで分かってもらえたためしはなく、結局iPhoneに保存した星雲の画像を見せるはめになるらしい。とはいえ、彼の人間性には非常によくマッチした髪色だと思う。まるでマングローヴの根の牙城に身を隠しながら、敵を寄せつけまいとハサミで()(かく)しているヤシガニみたいな。

彼がうつむいて送り状を確かめるとき、その前髪が垂れさがる。煮えたぎる鍋に落ちて味噌汁にされる寸前に、必死におでこにしがみつくヤシガニがそこにいる。
「ええと……『ピアネータ山縣(やまがた)小西(むつ)()様』って書いてますね」聞き覚えのある名前だった。それは干支を二周と半するあいだ、つねにわたしについて回ってきた名前だ。
「そうじゃなくて品名のところ」わたしは勤怠管理表の最終チェックをしていて、段ボール箱を確認する余裕がない。
「ああ。『スナック菓子』とありますが」

勤務時間のまちがいを修正していた手が止まる。やっと届いた! 発注してからどれくらい経っただろう? 限定生産の大人気商品。うちのような零細指定管理者のショップに、まさか本当に入荷するなんて!
「六十グラム×十二袋入りって書いてありますけど」
「ありがと。とりあえず倉庫のいちばん手前に入れておいて」
「中身はなんなんですか?」
「あとで教えたげる」
「あとでって。また変な商品を買ったんじゃないでしょうね?」さすが巻くん、だんだんわたしのことがわかってきたね。もう少し理解できたら、転職サイトのプロフ書きを代わってもらえるかな。あれはすごい苦手。
「このあいだだって『パウダン星人ぬいぐるみ』一ケース仕入れたばかりじゃないですか。ときどき『ハグ・ミー?』って、つぶれかけのグーフィーみたいな声でしゃべるやつ。あれ、全然売れてないっすよ」

わたしはエクセルの入力作業を終えてノートPCを閉じた。「パウダン売れてないの? 一匹も?」巻くんのほうを振り返る。
「たったのひとつも売れてないですよ」
「巻くんは買わないの?」
「社割もないのに、どうして自腹切ってあんなナンセンスぬいぐるみ買うんですか。『ぎゅっと抱きしめると自己防衛本能が作動します。どんな力強いハグからもするりと逃れ、あっという間にあなたから距離を置きます』って」わたしの書いた力作POPは覚えてくれたみたいだ。
「説明書に『それもまた彼らの愛情表現なのです』って書いてあったでしょ?」

巻くんは嫌そうな顔をした。どうやら説明書までは目を通していなかったようだ。
「それより早くそれしまって、トイレ掃除にとりかかってくれるかな。開館まであと少ししか時間ないよ」

彼は頭を振りながら倉庫に入っていった。ヤシガニが雨乞いの舞を踊りながら、木のうろに消えていくみたいだった。わたしはデスクの上の電話から受話器を取りあげ、市内の番号にかけた。
「……あ、もしもし佐伯さん? 例の商品、たったいま入荷しました!」
 
「トイレ掃除、終わりましたあ」

『PERFECT DAYS』の役所広司(山羊座)を見習ってほしくなる腐れかたで、巻くんがトイレから出てきた。よほどくたびれたのか、本人より声のほうが先に事務室に到達した。この惑星の住人はたまに精神が肉体を(りょう)()する。開館は午前九時半。あと二分。ギリギリセーフだ。

ここピアネータ山縣は、日本に生を()けた小学生なら一度は校外学習で訪れるような、典型的な公営のプラネタリウムだ。天文台は併設されていない。ソフトクリームやホットドッグといった軽食を売るスナックコーナーと、わたしたちが働いているグッズショップ、そしてヘプタポッド型宇宙人と記念撮影できる顔はめパネルなどで構成されている。トイレは最近バリアフリー化されたばかりだ。

いかんせん公営なので、建物や設備は老朽化が進み目も当てられないが、そこは職員同士で知恵を出しあい、商品のネーミングやラインナップなんかにこだわりを見せて傷みを繕っている。たとえば、スナックコーナーの名前は「生命、宇宙、そして万物」だし、ソフトクリームの種類は「四十二」(その実態は十四種類のトッピングが可能なバニラ、チョコレート、ストロベリーソフト)。ホットドッグの名前は「スプートニク二号」だ(あちちっ!)。

そんな職員たちのコツコツ努力が認められたのか、最近は徐々に客足が伸びている。聞くところによると、昨年冬のアニメでロケ地(とは言わないのか?)として登場したがために、アニメを観たひとたちがわざわざ遠方からも来訪するようになったらしい。「こないだ孫といっしょに『妄想ビッグバン』っていうアニメ観てたらさ、ピアネータが出てきたんだよ」と、ショップの常連である佐伯(みのる)さん(牡牛座)も熱弁していたっけ。
「最近は聖地巡礼ってのがあるんでしょ? いまに客がどっと押し寄せるよ。そうなったら睦美ちゃん、大忙しになるね」
「俗にまみれた非正規が働いてるんですけどね」わたしがアニメ風にウインクをすると、佐伯さんは日課の自撮りをしに、顔はめパネルのほうへ行ってしまった。


館内スピーカーで開館のチャイムが鳴る。チャイムの前とあとにガガッと雑音が入るのは、いまだに音源にカセットテープを使っているからだ。きょうは十月の三連休明けの平日だから、開館ダッシュの客はいない。ピアネータの警備課の職員が自動ドアの鍵を開けに行き、そのあとに続いて巻くんがショップの看板をドアの外に配置する。看板は有名な「捕まった宇宙人」の写真に、わたしが「買わない後悔より、買う後悔」という宣伝文句をつけたデザインなのだが、「地球を訪れたレトロ文明マニアの宇宙人が、UFOにおみやげを積みこみすぎて、ミサイルなどというはるかに文明レベルの劣る兵器に撃墜されてしまった」「でもマニア的にはそれがたまらない」という裏設定が難しかったらしく、いまいち集客効果を発揮してくれない。

十時のプラネタリウム上映までに、数名の客がショップをのぞいていった。「いまイチオシ!」のコーナーはパウダン星人のぬいぐるみなのだが、だれも手に取ろうとしない。まあいいさ。彼らが本格的に店内を物色しはじめるのは、一時間の上映プログラムが終わってからだ。午前の上映作品は『秋の星座物語』。それが終わるまではきょうも暇なはず。ちなみに午後は『もう何度目かの宇宙』という、午前とはうってかわって攻めた内容の作品だ。

さっき電話した佐伯さんはいまごろデリカミニをぶっ飛ばしているだろうが、まだあと三十分はかかるはず。巻くんは看板を外に出したあと、スナックコーナーに新しく入ったバイトの女子(星座不明)に館内を案内している。わたしは彼にテレパシーを送った。
「巻くん、きょうのぶんの通販の荷造りやっちゃおうか」

もちろん、届くはずもないのだが。


そう思っていたのだが、テレパシーを送ってからわりとすぐに巻くんはショップに戻ってきた。彼はちょっと興奮気味だった。
「スナックコーナーに今度新しく入ってきた子、『ジャクサ』って名前らしいですよ。美しい星空と書いて美星空(ジャクサ)
「いい名前じゃん」
「でも本人は気に入ってないんだって。いつか裁判所に名前の変更許可を申立てるとか、立てないとか……」
「ご両親が航空宇宙関係なのかね」わたしは『溶けるエイリアン靴下』を彼が抱えた買い物カゴに入れる。
「それがそうでもないらしいですよ。お父さんがプロのラグビー選手で、お母さんは管理栄養士なんだって」
「ほな航空宇宙と違うかあ。今度さりげなく訊いてみるよ。なんか極めて特別な由来がありそうだよね……次は?」

巻くんは反対の手に持ったリストに目を落とす。ヤシガニがまた鍋に落ちそうになる。「『ドント・パニック・バスタオル』ですね。どこかわかります?」
「大丈夫、『自分のタオルのありかはちゃんとわかってる』」わたしは通路の前方左にある棚の下段から、まだ新品の赤いバスタオルを取りだし、買い物カゴに入れた。「次」
「えっと……このひと、結構な量注文してくれてうれしいですね! 店長と話が合いそう」
「雑談はいいから、次の商品教えて」わたしの機嫌がちょっとだけ悪いのは、美星空のせいではない。小惑星イトカワに誓って。
「次が最後です。『無重力ピアス・ランララン』」

足が止まった。そうか、あれ売れちゃったかあ。全世界で五組しかない貴重なピアス。最後のひと組がうちの店に残ってて、わたしもひそかにねらってたんだよね。よもや二百万円もする品を買うひとがあらわれるとは。しかもECサイト経由で。(じか)に見もしないで。
「こんな商品うちにありましたっけ?」巻くんが疑問に思うのも無理はない。
「危険な商品は事務室の金庫にしまってあるからね。見るの初めてなら、巻くん取ってきてくれるかな」わたしは買い物カゴをあずかって彼に金庫の鍵を渡し、レジカウンターに向かった。

戻ってきた巻くんは、箱の裏に貼られた日本語訳のシールを見ながら眉間にしわを寄せている。「これ本当ですかねえ? このピアスを装着した生体が別のDNA型を有する生体に接触すると、その二体は重力の束縛から解放されます、だって」

箱のおもて面には、エマ・ストーン(蠍座)とライアン・ゴズリング(蠍座)を彷彿(ほうふつ)とさせるシルエットが描かれている。あの有名なポーズで。合点がいった彼は「ラ・ラ・ランドってことか」とつぶやく。
「ラ・ラ・ランドってことだね」

そう言いながらわたしは、箱の小窓からのぞくティアドロップ型のピアスとの別れを惜しんでいた。


予想に反し、佐伯さんは十一時すぎにのんびりとやってきた。
「睦美ちゃん、遅くなったね。これでも精一杯いそいで来たんだけど」

佐伯さんはピアネータの常連だ。週に三度は来ている。年齢不詳だが、年金暮らしだというのが本人の談で、少なくとも六十歳以上ということだろう。政府が年金の支給開始を四十歳からに改正したというニュースは聞いてない。
「大丈夫ですよ、佐伯さん。ケースで入荷したのに、まだひと袋も売れてないですから」というかまだ陳列もしてない。
「じゃあ、ほかに予約してるひともいないの?」
「ええ。そもそもうち、予約とか受けつけてないですし。佐伯さんには極秘情報をお漏らししただけです」
「なんじゃそりゃあ。客のあつかいに差をつけるのは良くないと思うなあ」そう言いながらも彼はうれしそうだ。

佐伯さんはもう秋深しというのに、ヴィンテージのバナナ柄パタロハを一枚で着ている。かたちよくなじんだジーンズは膝の長さで切りっぱなし。dj hondaのベージュのキャップは彼のトレードマークだ。

釣り銭を準備してレジに入ってきた巻くんに、けさ届いたスナック菓子の箱を持ってきてと声をかけようとしたとき、佐伯さんが言った。
「ポテトが確保されてるんだったら、きょうもまずは句合わせを願いたいな」
「ははん。その準備で遅くなったんですね」
「いやいや。きょうは低気圧が近いでしょ。頭の後ろが痛くって、それで鎮痛剤が効くのを待ってたんだよ」

佐伯さんは天文のほかに俳句も趣味にしている。なんでも左脳を使う日と右脳を使う日を交互に繰り返すのが佐伯式健康法らしく(サウナといっしょだよと言う)、自慢の句を披講したがるので、わたしも聞いているうちに俳句に興味を持つようになった。だったら天文をテーマにした俳句を詠もうじゃないか、ということで、以来、こうしてたまにふたりで句合わせをするようになったのだ。
「前回はわたしが負けたんで、わたしから行きますね。きょうの佐伯さんに捧ぐ」


椋鳥(むくどり)蚯蚓(みみず)噛みしむ低気圧
 
「季違いだよ」
「え? 本当?」初球にいきなり当てられた気分。
「蚯蚓は夏の季語だ。『何をしにここに出てきて蚯蚓死す』ってね」
「でもわたしのは主役が椋鳥で、蚯蚓はただの(えさ)だからオッケーじゃないんですか?」天下のNHK俳句で言ってたよ?
「うーん。ひとによっちゃあそれでもダメっていうのはいるわな」

佐伯さんはわたしの渾身(こんしん)の句をバックスクリーンに叩きこむことができて、エヘヘと笑いながら、ジーンズのポケットから野帳を取り出した。「それじゃあ今週のとっておきを。念願のポテトチップスを手に入れて」


地軸かたむけりレモンのハイボール


()き!
「でしょ?」わたしがまだ何も言っていないのに、佐伯さんは破顔した。
「地軸の傾きは二十三・四度でしたっけ。覚えやすいから覚えてます。ジョッキの傾きがそれぐらいだとすると、時間的にはまだ飲みはじめたばかりですかね。念願のポテトチップスを目の前にして、入手できたことを祝いつつも、とりあえず喉を潤すのが先だという、楽しいことを後まわしにする感覚が(かい)(ぎゃく)みあるじゃないですか」思わずたくさんしゃべってしまったので、レジにいる巻くんが気味悪がるが、そんなことは気にならないくらい佳い句だ。

しかし佐伯さんは「まだまだだなあ」と言って、「最近の研究じゃあ、人間が地下水を大量に汲みあげたせいで地球の重量バランスが変わって、地軸がちょっとずつ東に傾いてるらしいんだよ」
「え?」
「睦美ちゃん、地軸が傾くとどうなる?」
「いろいろ影響が出まくりますよね。極地の日射量が増えて氷が溶けると、海水面が上昇して気候が変動します。気候が変われば、地球に住む生き物の生死に大きく関わってきますし」
「そうそう。安物ウイスキーを作るために汲みあげた地下水が、ある生物種を絶滅へと導いているかもしれない。よくウイスキーは熟成中に『天使のわけまえ』が減るなんて言われるけど、だったら地上から消えていく絶滅種もみんな『天使のわけまえ』なのかもしれないよ。おじさんたちは居酒屋でそういう罪悪感を抱えながら、レモンハイボールをあおっているわけさ」
「本当ですか?」

佐伯さんはちびた赤鉛筆をぺろっと舐め、自慢の句に二重丸のしるしをつけた。


佐伯さんはポテトチップスのほかに、ピアネータ山縣のロゴ入り手ぬぐいとトートバッグも買って帰っていった。上機嫌すぎて日課の自撮りを忘れていたが、雨が強くなりはじめる前に帰れてよかった。低気圧が近づいている、というのは本当だったようで、昼休みが終わるころに大粒の雨が降ってきた。スナックコーナーで簡単な昼食を済ませた近隣のひとたちは駐車場まで駆け足で飛び出していき、新たに来館するひとはいない。こうなるとピアネータは閑散としてくる。
「もうきょうは閉店休業ですかね」先に昼食を済ませてレジに出ていた巻くんが事務室に戻ってきた。その視線の先、事務室のちっさな明かり取りの窓が裏見の滝になっている。
「開店休業、でしょ」
「え?」巻くんがコストコでニホンカモシカに出会ったみたいな顔をする。
「え?」わたしは弁当の里芋に刺さった箸が抜けない。
「……それって阿部Bの造語かと思ってましたよ」彼は阿部義晴(一角獣座……もとい獅子座)と同中(おなちゅう)であることを誇りにしている。
「閉店で休業って、それただの同義反復じゃん。開店して従業員一同働いてるのに、客がいなくてまるで休業。そういう状態なんだよ」
「そうかそうか」わかる。彼はもうこの話題には興味をなくしている。その代わりに抱えてきた段ボール箱を机の上に置いて、わたしの向かいに座る。「これ。午前中に佐伯さんの買ってった新商品ってなんなんですか?」
「ポテトチップスだよ」
「ただのポテチじゃないでしょ」さすがは巻くん。
「まあね。製造待ちで注文してから五年かかったよ。フェルミラボ謹製のビッグバン・ポテトチップス」

彼はいつもの()(げん)そうな顔で箱からポテチの袋をひとつ取りだした。なるほど、極彩色なアルミ製のパッケージには英語で『ビッグバン・ポテトチップス ブラック・ホールペッパー味』と書かれている。
「お金出すんで、ひとつもらっていいですか?」そう言って、さっそく袋を開けようとする。

わたしは里芋が刺さったままの箸を放り投げた。
「それは絶対に開けちゃだめ!」
「……それって開けろって意味ですよね?」
「いやいや、本気で言ってるの。それは本物のビッグバン・ポテトチップスなんだよ。袋を開けた瞬間にビッグなバンが起きるの」
「またまたあ」そう言って巻くんが袋のあけ口に指をかける。

ヤバい、パーティー開けだ!

わたしはテーブルの上に身を乗りだして、彼の手から袋を引ったくった。そのあわてぶりに、彼もいつものジョークグッズとの違いを感じとってくれたようだった。
「……本当なんですか?」
「正真正銘、ガチで本物」
「そんなの、シャレにならないくらいヤバいじゃないですか」巻くんは椅子を引いて、パウダン星人のように段ボール箱からちょっとだけ距離を置く。「なんでそんなものが存在するんですか」
「パッケージの裏を見てみてよ」

彼はビッグバン・ポテチの袋をひとつ指でつまみ、おそるおそる裏返す。
「そんなにデリケートに扱わなくても、窒素充填の完全密封だから大丈夫。そこにちっさい袋がついてるでしょ。なかに恒星カードが二枚入ってて、世界中の天文ファンがコレクションしてるんだよ」
「いやいやいやいや」言いながら彼は袋をテーブルの上に戻す。「恒星カードって……何種類くらいあるんですか?」
「星の名前は国際天文学連合(IAU)が定めた固有名に準拠してるから、四百五十種類くらいかな」
「四百五十て……もしかしてジャバハーのカードもあるんですか?」
「あるよ」

ジャバハーは青い馬頭星雲から最も近い蠍座のν(ニュー)星だ。なんだかちょっと欲しくなってきた、という感情の変化が伝わってきた。
「やっぱりひとつ分けてくださいよ。ちゃんと店の売価を払うんで」
「いいけど、絶対にポテチの袋は開けちゃダメだよ」
「それがわからないんですよ。みんなカードを手に入れるのが目的で、ポテチは食べないんですか?」
「だってビッグバンが起きるんだよ? 開けられるわけないよね」
「みんな食べられないポテチにお金を払ってるんですか?」
「みんな恒星カードが目当てだからいいんだよ」
「じゃあそのみんなは、食べないで残したポテチをどうしてるんですか?」
「さあ。部屋に飾ったり? 公園のゴミ箱に捨てたりしてるんじゃない?」おまけ付きお菓子の不可避な運命。
「だったら危険性なんてないですよね。ビッグバンなんてハッタリなんじゃないですか?」

わたしは彼の両肩に手をかけた。本気の説得モードだ。
「だ、か、ら、ポテチの袋を開けたらビッグバンが起きるの。それはもうまごうことなく絶対に」
「じゃあなんでいままでビッグバン起きてないんですか?」
「そりゃあ、これまで買ったひとがちゃんとルールを守れるひとばっかりだったからだよ。信頼の原則」ちょっと違うか。

巻くんがパッケージに印刷された"DON'T OPEN"の文字を指差す。「こんなふうに表示されてたら、それは絶対に開けろって意味じゃないですか」
「巻くん、そういう日本的な前フリの美学は世界じゃ通用しないんだよ」いまの発言はちょっとパワハラっぽかったか。

しかし彼もめげない。「でも実際、いままでに何個くらい売れてます?」
「よく知らないけど、一万個くらいかな」
「じゃあ世界には、こんな危険なポテチの袋が一万個もあるってことですか?」
「でも同じくらい危険なものが、同じくらい世界中にあるよね」

わたしがそう言うと、巻くんは下唇を噛みしめてしまった。ブラックペッパーの味がするといいのだけど。


昼休憩が終わり、わたしたちは店内でそろって午後の業務をこなしていた。外の雨はいっそう激しく降っていて、客はひとりもいない。午後のプラネタリウム上映はたぶん無観客になるだろう。
「あのポテチって、発売からどれくらい経つんですか?」ビッグバン・ポテトチップスのPOPを書きながら、巻くんが尋ねる。
「えーとね、たしか二〇一一年の発売だったと思うけど」わたしはドイツから取りよせているプラネタリウムグッズのカタログをめくりながら答える。今月は新商品のページが熱い。
「所有者はどのくらいいます?」
「仮に累計販売数が一万個だとして……恒星カード目当てにひとりが複数購入してるだろうから、千人くらいなんじゃないかな」
「千人か……」巻くんは黄色の色鉛筆を手に取る。「そこに絶対に開封しちゃいけないポテチがあるなら、いつかきっとそれを開けるひとが出てきますよね」
「さらっと怖いことを言うね」
「だってまったく欲望を抑えられないひとだっているじゃないですか」知ったような口を利く。「そのポテチを所有してれば、いつでも世界を終わらせられるんですよ。自分の好きなときに。すごく嫌なことがあって、もうこんな世界いらないって思ったら、ポテチを開封しちゃうかも」
「なんで? ただのスナックのやけ食いとはわけがちがうんだよ。確実に自分も消滅しちゃうんだけど」
「そういうひとは、同時に希死の欲望も満たそうとするんですよ。世界を否定することで他人を簡単に殺せちゃうような人間は、自分自身も簡単に殺せると思う……」

わたしは歴史の舞台に登場してきた虐殺者たちのことを考えた。たしかに、ちゃんと司法手続に則って処罰された者もいれば、最後に自死を選択した者もいる。「……もしヒトラーがビッグバン・ポテチを持っていたら」
「恒星カード目当てでですか? 地球人を民族で小分けにする人間が、外宇宙になんて興味を持ちますかね」
「巻くん、ヒトラーは『天文学者』っていう絵をとても愛していたんだよ」
「それは天文好きじゃなくて、芸術好きだったからでしょ」彼は色鉛筆を紙にこすりつけた。「過去の独裁者のことはいいですよ。いま地球には宇宙を消滅させられるポテチが一万袋以上あって、それを簡単に開けることができる人間がうじゃうじゃいるわけでしょ。世界の終わりなんてすぐそこですよ」

だとすると、こうしてふたりで雑談する時間もあとわずかか。結構好きだったのになあ。わたしはふと尋ねる。「だれかがビッグバン・ポテチを開けたら、宇宙はまた生命の進化をやり直すのかねえ?」
「たぶん。それでまた人間が生まれて、フェルミラボが設置されて、ビッグバン・ポテトチップスが発売される。何度だって繰り返すでしょうね」

わたしの脳裏にテレンス・マリックの映画が走馬灯のごとく浮かびあがった。え、走馬灯? あの映画はわたしの人生だったのか?
「よし、できた!」巻くんが顔を上げる。

彼の作ったビッグバン・ポテトチップスのPOPには、カンカン帽をかぶり、たすきをかけたジャガイモのイラストが描かれていた。あいつだ。たすきには「宇宙の主役」と書かれていて、右手は人差し指で宙を指している。その指の先には「紅茶飲み干して、君は静かに開ける」と書かれていた。ミッシェルだ。でも、わかるひといないんじゃないかな?
「コピー書き直していい?」
「やっぱダメですか?」
「ダメじゃないんだけど、ちょうどいいのを思いついた」


馬鈴薯(じゃがいも)や袋のなかはビッグバン



 
「あれ?」ポテチを売り場に並べているとき、巻くんが声をあげる。「店長、この恒星カードって、当たりつきみたいですよ」
「そうなん? 知らなかった」
「ほら、ここに」

たしかに、カードが入っている小袋には"lottery"と書かれている。
「袋の隅に黒塗りの部分がありますよ。きっとここにくじが書いてあるんです。裏からうっすら見えないかな、よっちゃんイカみたいに」彼はポテチ袋とカード袋の接着面に指を入れようとする。
「ちょっと、売り物なんだからやめてよね」
「でも何が当たるか知りたいじゃないですか。自腹で買いとりますって。そうだ、裏からライト当てたら見えるかも……」

そう言って巻くんはポケットからiPhoneを取りだす。

待受画面の左下には懐中電灯のアイコン。

そのアイコンを長押ししようとしたとき、三本の指だけで支持したiPhoneが大きくバランスを崩す。

iPhoneが落下していこうとするその先には、整然と並んだ十一袋のビッグバン・ポテトチップス。

わたしはついにヤシガニが鍋にダイブするのを見た。


まだ時間も空間も存在しない闇のなか。

そこに生命の気配などない。

すべてがしんと静まりかえるなか、突如として鳴りひびく爆発宇宙の交響曲。

時を同じくして、幾筋もの閃光が闇をつらぬいてゆく。

始まったのは『もう何度目かの宇宙』だった。







先行公開日:2024年12月21日 一般公開日:2025年1月18日

カバーデザイン:VGプラスデザイン部
 
「プラネタリウム」特集 掲載作品

  • 南木義隆「星と巡り合う者たち」 【こちら】
  • 田畑祐一「マッチングアプリ」 【こちら】
  • 早海獺「袋のなかはビッグバン」  【こちら】
  • 鬼嶋清美「プラネタリウム小説いろいろ」 【こちら】
     
    作品をより楽しみたい方は、マガジン『Kaguya Planet No.4 プラネタリウム』をお読みください。詳細は【こちら】から。
早海獺

早海獺

早稲田大学第一文学部で小説の創作を学ぶ。ゲーム会社などに勤務したのち、裁判所書記官時代に詩のワークショップに通ったことがきっかけで、表現活動を再開。「福間塾アンソロジー」に詩作品を寄稿。国指定難病の潰瘍性大腸炎に罹患したのを機にフリーランスの物書きとなる。詩とイラストのユニット「割るラッコ」の片割れ。2024年、noteにてひさしぶりの小説『イエロートラム』を発表。影響を受けた作家はカート・ヴォネガット、レイモンド・カーヴァー、マイクル・Z・リューイン、ポール・オースター、福間健二、ケン・ブルーウン。現在埼玉県在住。