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「吉岡、久しぶり?こないだの同窓会なんで来なかったんだよ。天文部のみんな会いたがってたぞ。良かったら今度みんなでご飯とか行かない?返事待ってる」
俺はこのメールを送るか、5日も考えている。
中学の頃、吉岡が好きだった。でも、気持ちを伝えられず違う高校へと進学して、メールアドレスを知っていたのに一度も連絡したことはなかった。それから10年、俺はまた吉岡にメールを送るかどうか迷っている。
別に女の人が苦手なわけではない。学生時代はそれなりにキャンパスライフをエンジョイし、女の子とも仲良くやってきた。大学3年の時には、「星のソムリエ講座」で知り合った女性と、二人で長野の八ヶ岳まで行って、朝まで天体観測デートをしたのちお付き合いしたこともある。
もう中学の頃とは違うはずなのに......吉岡にメールを送るのに5日かかっている。
実は、一度だけ接触を試みたことがあった。Facebookが誕生した時だ。千載一遇のチャンスをマーク・ザッカーバーグから頂いた俺は、吉岡をネットの海の中から探し出した。今思えばネトストめいた行動ではあるが、絶対にみんな一回は好きな人のFacebookをチェックしたことはあるはずという確固たる自信があるので、堂々と俺は言わせてもらう。
結局友達申請は送らなかった。
吉岡のfacebookはプロフィールが登録されているだけで、何も更新されていなかったからだ。書かれていたのは、趣味がプラネタリウム巡りであること、宝物は大型犬のシリウスと小型犬のプロキオン。そして、吉岡ポラリスという天文部のときのあだ名(席替えのクジで1年間席が変わらなかったからついた)が、人型の影の上に表示されているだけだった。プロフィール画像さえ吉岡は設定していなかった。最初こそ、知り合いからの「誕生日おめでとう」のメッセージだけは返信していたようだが、それも5年前からは更新されていない。
こんなFacebookに連絡しても意味がないだろう。
嘘。本当はビビっただけだった。
吉岡に対しては良いところが出せない俺が、苦労もなく吉岡に会える。そのチャンスが、10年ぶりの同窓会だった。しかし、吉岡は最後まで会場に現れなかった。
吉岡は来なかったが、久しぶりに他の天文部のみんなに会えたこともあって、会は意外に楽しかった。そこで話題になったのが「ミルキーウェイ」というマッチングアプリだ。「探し求めてた人と必ずマッチする」が売り文句だそうだ。天文部の人には使ってた人はおらず、誰か使ってみたら......という話になった。それにしても出会い系の時はあんなに怪訝な顔をしていたのに、マッチングアプリと呼べばこれだけ流行るのはなぜなのか。それに俺は「必ずマッチする」みたいなこの手の売り文句が大嫌いである。でも一応、ためしにミルキーウェイに登録をしておいた。一応だ。一応。ここではっきりさせておきたいのだが、これは一応の中でもかなり一応の分類に入る一応だ。そして運命の人に出会えたら一応みんなに連絡することにもなった。これはまぁまぁ連絡する可能性のある一応である。
「そろそろクレイジージャーニーが始まる時間か。こりゃあ明日だな」
吉岡にメールを送れない理由もとうとう“大好きなテレビ番組が始まる時間だから”まで来てしまった。電話ならともかく、メールなのだから言い訳にもならない。重症の俺は、ひとまずその日もメールを送ることを延期した。
ソファに体を預けてクレイジージャーニーを見ていると、ポケットの中のスマホが震えた。スマホを取り出し画面を見てみると、ミルキーウェイのアイコンの右下に通知を表す①の数字が出ている。アイコンをタップしてみた。
「ようこそ!彦星さん!」
そうだ。俺は最初の設定で自分のニックネームを「彦星」にしてしまったんだった。
なんともその場のノリっぽい感じの名前で恥ずかしくなったがタップした。
「彦星さんこんにちは。登録してから5日ほど経ってますが、探し求めていた人には出会えましたか?ミルキーウェイなら100パーセントあなたの求めている人に出会えます」
こざかしい。俺はすでに10年前に出会っている。
「すでに好きな人がいても大丈夫。きっとその人と出会えます」
そんなわけないだろ。吉岡は絶対にマッチングアプリをやるタイプじゃないんだから。100パーセントってのがもう詐欺アプリなんだよ。
「みんな最初は半信半疑でスタートします。でも運命の人とは紐づけられているもの。必ず最後には出会ってしまうんです」
アプリのお前に言われることじゃねーよ。って会話みたいになってるじゃねーか。恥ずかしい。俺の心ってそんなに読みやすいのか。そういえば、俺の毛根は元気にやっているのに、AIが育毛品の広告ばかり流してくる。一度はその広告をスライドして無視するのに、10分後、必ず俺はその育毛品をググっている。それがなんとも悔しい。さらには、俺が会社の忘年会で、カツラまでつけてあいみょんのマリーゴールドを歌った後、何気なくスマホを取って見ようとしたら、顔認証でロックが解除できなかったのだ。髪の毛の量がそんなに多いはずないと勘違いしたのだろう。ロックを解除しなかった俺のスマホに、この時ほど腹が立ったことはない。
「君はロックなんかされない」
まじでムカつくこと言ってくるじゃん。あいみょんはいいんだよ。
……え?
……ってかこれ本当にAIなのか?
都市伝説系のYoutubeチャンネルで、スマホは普段の会話も全て聞いているみたいなのは見たことある。でも今は何も、口に出してもいないんだよな。
「その心、ビンビンこっちに届いているよ」
嘘だろ? 今の気持ちも読み取ったっていうのか?
「もちろん。ミルキーウェイが読み取れるのは、QRコードだけじゃあないんだぜ」
お笑いトリオのぱーてぃーちゃんみたいな言い方してる。
「一回騙されたと思って、探してる女性のタイプ登録してみろって」
そしてもう完全にタメ口になってる。さっきからうっすら気付いていたけど。こいつもう完全にタメ口じゃん。これもAIの判断なの? AIが持ち主の俺に対してタメ口でも良いって判断したの?
「早くやってみろって」
しかもこのタメ口は俺が敬語使うパターンのやつじゃないか? だいぶ強めのタメ口だよね。確実に俺のこと舐めてるとしか考えられない。どうしたらAIでここまでの舐めた文章を作れるんだ。
「……いいのかよ?このままだとあいつ行っちまうぞ!」
え?
「お前が何度もスマホのメール開いたり閉じたりしてんの見てっからさぁ。さすがに気付くでしょ」
確かにさっき吉岡へのメールを送るかどうかの時間は本当に情けなかった。あの本当に情けない時間の一部始終をお前は見ていたんだな。だからその後アプリに通知を出したのか。今のAIがここまで優秀だとは思わなかった。その時、キランという音がスマホから流れて、アプリのポイントが100等級(このアプリではポイントは等級と呼ばれている)貯まった。
「ほら。これであいつんとこ行ってやれよ。今なら間に合う。俺のことはいいからさ。あいつもお前のこと待ってんだよ!」
ごめん! ちょっと演出が過ぎないか?! 二人の男が一人の女性を取り合って、最終的にライバルの男に後押しされて、アメリカに行く女性を止めに空港にいくとかいう、ドラマとかでよくあるパターンのやつだろ? 最高の演出はライバルがバイクで空港まで連れてってくれるやつ。
「どうすんだよ。もたもたしてるとあいつ行っちまうぞ!」
うるせー。ちょっとうるさすぎるなミルキーウェイさん。これ作った会社どこなんだ? あとで絶対調べてクレームのメール送っとこ。これはマジで早急な改善が必要だって。あまりガツガツ行かなくなったって言われてる今の若い世代には、これが逆に良いと思っているのか? 俺もまだ25歳だけど俺には全然響かないよミルキーウェイさん。
「もうわかった。俺が行く。俺があいつを幸せにする。お前がこんなに臆病な人間だとは思わなかったよ。お前にあいつは幸せにできねー!」
アプリに言われっぱなしで終われることがあろうか。はらわたを煮えくり返らせながらスマホを睨みつけ、女性のタイプを登録すると、
「登録ありがとうございます。候補が見つかり次第お知らせいたします」
無機質な文章が送られてきた。アンガーマネジメントのeラーニングを受けたばかりの俺はとりあえず大きくその場で深呼吸をした。そしてその後に、思いっきりスマホをソファに投げつけた。
次の朝、まだイライラは収まっていなかった。特に最後まで俺の心に居座ったのが、等級を付与するときの演出だ。何が、“これであいつのとこ行ってやれ”だ。調べたらただのログインボーナスじゃねえか。ちきしょー。ふざけた真似してくれやがって。そのままアンインストールしてやろうと思ったが、下心がそれを許さなかったため、ミルキーウェイは今もまだ俺のスマホの中にいる。が、俺はいつでもお前なんか消してやれるんだぞ、との精神で、ちょくちょくミルキーウェイのアイコンを長押ししてプルプルと震わせている。あくまで主導権は俺が握っているのだ。それを分からせないといけない。
翌朝、アプリから一件の通知が届いた。
「お探しの女性が3人見つかりました」
条件に当てはまる女性が3人。これはすごいぞ。
プルプル攻撃が効いたのか、アプリの言葉使いも元に戻っている。
さっきまであんなにムカついていたアプリなのに、通知が来た途端、嘘のようにそんな感情は吹き飛んでいた。
俺は高鳴っていく胸の鼓動を感じながら、ミルキーウェイを開いた。
「アンタレス」「シリウス」「ベガ」
そこには一等星の星の名前が3つ並んでいた。
ミルキーウェイ。ちゃんと仕事してくれるじゃん。登録した条件は「20代」「星好き」とシンプルだったが、3人の女性を導き出してくれた。もしかしたらこれは神アプリなのかもしれない。ニックネームから星にするということは間違いなく星好き。そして、昨日の話の流れを考えたら、この中に吉岡がいるかもしれない。
一瞬体がブルっと震えた。
まじでいるのか? この中に吉岡が。
可能性が一番あるとしたら、「シリウス」だよな? おおいぬ座の一等星「シリウス」は、吉岡の飼っていた大型犬の名前だ。俺はまずシリウスにメッセージを送ることにした。
「シリウスさん初めまして。彦星と言います。星や宇宙が大好きでよくプラネタリウムにも行きます。シリウスっておおいぬ座の一等星の名前ですよね?良かったらメッセージください!」
すぐにシリウスから返事が来た。
「メッセージ嬉しいです。私も宇宙が大好きです!宜しくお願いします」
感触は悪くない。俺はそのままシリウスとメッセージのやり取りを続けた。
「やっぱりシリウスさんも宇宙好きなんですね!天文とかはお詳しいんですか?」
もし詳しければ、吉岡の可能性はグンと上がる。
「もしかしたら詳しい方なのかもしれません。あまり自信はありませんが、、、」
来た! この遠慮がちな感じも吉岡っぽい。このシリウスが吉岡の可能性は高そうだ。このままメッセージのやり取りを続けてデートまで持っていく。
「僕、実は中学の頃天文部に入っていまして、結構天文の勉強もしてきた自負もあるので、良かったらシリウスさんの話聞かせてください!」
「そうなんですね!実は私も中学は天文部でした」
「そうなんですか!めちゃめちゃ偶然ですね! どんな勉強をしてたんですか?」
「月です」
「月ですか!実は僕の友達も月のこと調べてました!ここまで偶然重なりますか?笑」
「確かに!すごい確率ですね!」
「もしかしたら知り合いかも笑。」
「そんなまさか!」
「え、じゃあその友達と同じ内容を調べてたらお互いの学校言いません?」
「え?どうしようかな汗」
「絶対に知り合いなわけないですよ。どれだけの確率だと思ってるんですか笑」
「そうですよね。すみません、勝手に緊張しちゃって」
「大丈夫です!それで、月のどんなことを勉強されてたんですか?」
「月が地球の衛星ではなく宇宙船だという研究です!」
ちゃんと全然違う人だった。シリウスは吉岡でも星好きでもなんでもない。シリウスは都市伝説が好きな女だ。これは大きなミスを犯してしまった。
「そうなんですね。なかなか攻めてる研究ですね。」
「だって考えてください。地球の大きさに対して月は大きすぎるんですよ。隣の火星の衛星なんて本当に小さいんです。これはどう考えても宇宙人の宇宙船であることは間違いないです!」
「確かに。火星の衛星は小さいですもんね」
「はい!太陽系の惑星の衛星の大きさを見たら、月はベスト5に入る大きさなんです。木星とか土星の衛星の中に食い込んでるんですよ?これ、怪しいですよね?」
「本当ですね!ではそろそろ仕事に戻りますね」
「え?学校は言い合いますか?」
「ちなみにニックネームは何故シリウスに?おおいぬ座の星なだけあって、昔大型犬を飼われていたとか?」
「そんなくだらない理由ではありません。シリウスというのは宇宙人が存在している可能性があると言われている星なのです。このマッチングアプリで私は宇宙人を探しています。彦星さんは宇宙人ではないのですか?あと、学校は言い合いますか?どうしましょうか?」
俺はもう返事をしなかった。シリウスには申し訳ないが等級がもったいない。月の都市伝説を課金して聞くほどバカではない。まさか俺が予想したシリウスの名前の由来を“くだらない”と表現されるとは。とんでもない人間がマッチングアプリの中にはいるもんだ。俺にはあと2人残されている。この2人のどちらかが吉岡。そうなると吉岡は……「ベガ」だ。夏の大三角の一つであるベガは、七夕の織姫星としてよく知られている。俺は彦星であり、その相手となるのは織姫。そして何よりこのアプリの名前はミルキーウェイ。「天の川」という名前なのだ。これはもう暗示している。「ベガ」が吉岡であることを。
俺は次に「ベガ」にメッセージを送った。
「ベガさん初めまして。彦星と言います。星や宇宙が大好きでよくプラネタリウムとかにも行きます。ベガってこと座の一等星ですよね?そして織姫星でもありますね!良かったら彦星にメッセージください!」
しばらくしてベガから返事が来た。
「メッセージ嬉しいです!彦星ってアルタイルですよね?凄く運命感じます!是非、仲良くしてください!」
ベガからの感触は悪くない。文章が吉岡っぽくはないが、しかし一縷の望みをかけて俺はベガとメッセージのやり取りを続けた。
「僕もベガさんに出会えて嬉しいです!ベガはこと座の一等星から取ってるんですよね?」
「いえいえ!これはスト5のベガから取ってます!」
ベガは吉岡ではなかった。吉岡がゲームの話をするのを聞いたことがない。「YOU LOSE」という文字が頭に浮かんだ。ここからは何の意味もないメッセージのやりとり。ただただ等級が消費されていくだけの時間である。早く切り上げたい。
「あ、ゲームの?そうですか。ではまた機会があったらメッセージ送りますね。」
「え?せっかくなんでオンライン対戦やりましょうよ!キャラ何使うんですか?」
「ケンです」
「やっぱバランス良いですもんね!」
「是非、またオンラインの方で見かけたら声かけてください」
「私は基本京成小岩のアルタイルってゲーセンにいるんで、是非そっちでも彦星さんの“乱入”待ってます!」
「わかりました。ありがとうございました。」
とりあえずこと座の一等星をベガと名付けたやつを恨みたい。そのせいで俺がストリートファイト5のベガとやり取りして等級を失ったではないか。まさか「アルタイル」がゲーセンの名前で、そこに相手が運命を感じていたとは。
残るは「アンタレス」。アンタレスはさそり座の心臓に輝く赤い一等星。名前の由来は火星のように赤く光ることから、火星の敵(アンチ・アーレス)とついた、というのが有力。もうこの流れで吉岡の可能性は低いが、送らないわけにはいかない。「探し求めてた人と必ずマッチする」のなら、この「アンタレス」のほかに選択肢はない。俺は残されたポイントを節約しながら、「アンタレス」にメッセージを送った。
「初めまして。僕彦星。星好き。アンタレスさそり座の名前。返事待つ」
これじゃあ1文字ごとに課金されていた昭和の電報だ。これで返事が来たら奇跡に近い。しかしソワソワする間もなく、すぐにアンタレスから返事がきた。
「お前舐めてんのか?ふざけたメッセージ送ってきやがって。うちの背中に入ったさそりのタトゥー見てからでも、そんなメッセージ送ってこれんのか、コラァ?」
恐ろしいメッセージと共に、背中一面にサソリのタトゥーが入った画像と、成人式の時のだろうか? パンチパーマでダークスーツの男性と、改造されたバイクの前で舌を出しながらこちらを威嚇している特攻服女性の画像が送られてきた。
そして休むことなく、アンタレスからまたメッセージが送られてきた。
「2つ目の画像の男はうちのパパな。お前がふざけた真似したことは全部パパに言うから。パパにバレたらお前終わりだぞ?とりあえずいつ会うか決めようや。パパにも予定空けてもらうから。」
返事はしなかった。アンタレスが吉岡であっても、もうそんな吉岡は俺の中の吉岡ではなかった。俺は地味で天文が大好きで少し天然な女の子を「吉岡」と定義している。アンタレスはその「吉岡」の定義から大きく外れているので、仮に吉岡でも吉岡ではない。そして本当に絶対に吉岡ではないのだ。3人の女性とのやり取りが終わるとアプリから通知が届いた。
「何してんだよ。良いのかよ?」
お前やってくれたな。どこが「探し求めてた人と必ずマッチする」だ。全く知らねー都市伝説女と格ゲー女とサソリタトゥー女じゃねぇか。まじで人をおちょくるのも大概にしろ。
「お前が本当に探そうとしてねーからだろ。ビビってんだよお前が」
は? どこがビビってんだよ? 俺はちゃんと探してる女性の条件入れただろ? 探せなかったのはお前の方だろーが。ミルキーウェイとかふざけた名前しやがって。絶対にクレーム入れてやるからな。
「いや。お前はビビってる。探し方が手抜きだ」
どう考えても手抜いてねーだろ。「星好きで20代」って条件出したら、お前が変なやつばっか出してきただけだろ。お前のミスを俺のせいにすんじゃねーよ。
「じゃあなんで“吉岡”って登録しねーんだ!」
え?
「お前が探してるのはタイプとかの次元じゃねーだろ?お前は吉岡を探してんだろ?じゃあ、もう吉岡って入れろよ!」
ちょっと待ってくれよ。
「ビビりやがって」
これはビビってるとかじゃない。
「は?じゃあ何なんだよ?」
知らなかった。
「何が?」
名前入れられるとか知らなかったって。個人を狙い撃ちしてもいいなんて発想はまじでないから。
「言い訳すんな。ダセーだけだぞ!」
いや、これは本当にそう。この件も後でクレームね。知らない間にまたタメ口になってるけど。2アウトだからね。まじでチュートリアルがだめかもね。マッチングアプリとかやったことない人は会議に入ってる? 当たり前の人ばっかりで会議やってない?
「まだ等級は残ってる。それで吉岡さんにメッセージ送ってやれ」
無視すんなよ。お前これ絶対にユーザーの声として反映した方が良いからな。とりあえず全部終わったら本社にメールするわ。ちゃんとお前んとこの人間が仕事してんのかチェックさせてもらう。
わかっている。俺も今は仕事中だ。他の会社の人間をどうこう言う前に俺が仕事をしていない。でも、ここまで来たらやるしかない。俺は半信半疑で探してる女性の条件検索欄に「吉岡」と打ち込み、登録ボタンを押した。すると、すぐに「ポラリス」と言うニックネームの女性が現れたのだ。
これは……吉岡だ。
迷いは何もなかった。俺は残りの等級全てを使って吉岡にメッセージを送った。
「吉岡。俺彦星。七夕。渋谷のプラネ18時。回転席待つ」
また電報みたいになってしまった。なぜメッセージを送る前に課金して等級を購入しなかったんだろうか。なぜミルキーウェイの言う通り、残りの等級を全部使ってメッセージを送ってしまったんだろうか。呆然とスマホを眺めていると、ポラリスからメッセージが返ってきた。
「相変わらずだね笑 了解しました!プラネタリウム中学の頃以来だね!楽しみにしています。 吉岡」
ほら。ポラリスは吉岡だった。
「たった今、今晩の20時を迎えました。皆さん。こんばんは」
プラネタリウムはすでに始まっている。俺は一人で回転席に座り星空を見上げていた。吉岡はまだ来ていない。そろそろ満天の星になる。そうするとドームも真っ暗になって、途中入場の客は入り口から一番近い席にしか案内されない。なぜ吉岡は遅れているのだろう。このままでは吉岡と別々の席で星を見ることになってしまう。というか、そもそも吉岡は本当に来てくれるのだろうか。
「これから10数えるので、その間だけは頑張って目を閉じてください。さぁ、それでは皆さん目を閉じてください」
俺は静かに目を閉じる。本当は途中退出して吉岡を待ちたい。でもプラネで一番やってはいけないのが途中退出である。他のお客さんの意識も散って、せっかくの空間も台無しになってしまう。
「10。9。8」
ただ、やっぱり今日は集中できない。10秒目を閉じるだけなのにすごく長く感じる。
「7。6。5」
とりあえずプラネタリウムが終わったらメッセージを送ってみよう。考えても仕方ない。
「4」
自分の席の隣に誰かが座った。目を閉じていてもわかる人の気配。
「3」
吉岡?
「2」
そして、俺の左手の上に、誰かの手が重なるのを感じた。その手は外気の影響でまだ冷たくて、指がスラっと綺麗に伸びている手だった。
「1」
「遅くなってごめんね」
吉岡の声だ。少し鼻にかかったこの声は間違いなく吉岡の声だ。吉岡は俺の耳元でそう謝ると、ゆっくりとリクライニングシートを倒していく。それを俺は横で感じとる。全身の感覚で。目で見るよりもリアルに鮮明に頭の中で映像が浮かび上がってくる。
「0。それでは目を開けてください」
ゆっくりと目を開けると、数えきれない数の星が、頭の上でキラキラ・チカチカと瞬きながら輝いていた。おぉーという感嘆の声がドーム中に広がる。そして、俺は横に座る吉岡の方に目をやる。暗闇の中、髪を後ろに一つでまとめている女性の姿がぼんやりと見えた。はっきりと顔まではわからない。けれど、さっき手を重ねてくれたこと。そして何より他の席もある中で、この席を選んで座るということ。吉岡であることの証明として十分だった。でもプラネタリウムで私語は厳禁だ。静寂の中、吉岡と二人でこの時間は満天の星を楽しむことにしよう。
40分のプラネタリウム投影は、本当にいつもあっという間だ。
隣の席の吉岡を感じながら見上げる星空は、普段とは全然違うものに見えた。
「東の地平線が徐々に明るくなってきました。太陽の最初の光。地上へと降り注ぐ最初の光。薄明という天文現象です。それではまもなく東から太陽が昇ります」
そう解説員の方が締め括ると、東の地平線から太陽の頭が姿を現し、徐々にドームが明るくなり始めた。ドーム中に日の出を迎える感動的な空気が広がる。普段はこの時間が大好きだ。でも今日は隣にいる吉岡のことで頭がいっぱいで、日の出に集中できない。このあと、吉岡と一緒にどこに行こう。中学の時と同じように、地元の公園に戻ってそこで本当の星空を見上げるか。というか、俺は吉岡のことが多分ずっと好きだったんだろうな。10年前、自分の気持ちを伝えることができなかったことをずっと後悔していたんだろう。奥底にあるそれに気付いた時、東から太陽が姿を現し、ドームもいつもの明るさに戻った。
「朝を迎えたところで、この回のプラネタリウム投影は以上でございます。本日はお越し頂き、まことにありがとうございました」
こうして40分間のプラネタリウム投影は、終了した。どんなふうに彼女に声をかけようか頭がいっぱいで、薄明が見えたあたりからもう手汗が止まっていない。あくまで、普通にしていようと、ドームが明るくなったところでこちらから声をかけることにした。
「やっぱりここのプラネタリウムはいつ来ても最高だね」
10年ぶりに吉岡と話をする。どんな顔で座っているのか。俺は隣の席に顔を向けた。
……しかし、そこに吉岡はいなかった。
プラネタリウムが始まる時と同じ、ただの空席があるだけだった。
さっきまで横にいたはずの吉岡がいない。どういうことだ。まさか途中退出した? そんなわけないよな。誰よりもプラネタリウムが大好きな吉岡がこの空間を切り裂くようなことをするわけがない。じゃあ、どういうことなんだろう。
次々と客がドームから出ていく。気付いたら俺一人だけがドームの席に座っていた。解説員の方も気まずそうにこちらを見ている。俺は急いでドームを出た。そしてすぐにポラリスにメッセージを送る。
「吉岡?さっきプラネ来てたよな?途中退出したと思うんだけど、何か急用?」
ポラリスからの返事はこない。もやもやとした気持ち。誰かに聞いてもらいたくて、俺は天文部のグループラインに一報を入れた。
「吉岡とミルキーウェイでマッチングした」
しばらくして既読がつき始め、みんなからのラインが送られてきた。みんな一様に驚いている感じだ。中には「嘘つけ!」「お前好きだったもんなー!」といった反応も。プラネタリウムで待ち合わせをしたが、投影終了前に途中退出して帰って行ったことを伝えると、みんなの反応が変わった。なんというか、かなり引いているみたいだ。慌てて、自分がそんな意味不明な嘘はつかないと送ると、吉岡と一番仲が良かった女友達がグループラインに重い一言を投げてきた。
「吉岡は5年前にもう星になっちゃったよ。病気だったんだ」
じゃあ、今日俺の横に座ってきた女性は、誰だったんだ。
まさか吉岡があの瞬間だけ? そんなはずはない。きっと俺の勘違いだったんだ。昨日の夜も俺はシャンプー中に後ろに人の気配を感じて、3回も振り返っている。そういうことだったんだ。でも、じゃあポラリスって誰なんだ。吉岡ってたまたま偶然同じ苗字の人で、偶然、俺みたいな人と知り合いで、勘違いしてやり取りしたってこと? そういえば、俺が吉岡のことを好きだったことは本人も知っていたらしい。それはなんか恥ずかしかった。駅のプラットホームで考え込んでいると、電車の到着が10分遅れるとのアナウンスがあった。軽く舌打ちをしてスマホを見る。ミルキーウェイからの通知が来ていた。
「探し求めてる人に、出会えただろ?」
先行公開日:2024年11月16日 一般公開日:2025年1月18日
カバーデザイン:VGプラスデザイン部
「プラネタリウム」特集 掲載作品
- 南木義隆「星と巡り合う者たち」 【こちら】
- 田畑祐一「マッチングアプリ」 【こちら】
- 早海獺「袋のなかはビッグバン」 【こちら】
- 鬼嶋清美「プラネタリウム小説いろいろ」 【こちら】
作品をより楽しみたい方は、マガジン『Kaguya Planet No.4 プラネタリウム』をお読みください。詳細は【こちら】から。