ズィヤード・ハッダーシュ
1964年イェルサレム生まれのパレスチナ人作家。高校の国語教師としてキャリアをスタートし、短編小説を中心に新聞などで作品を発表。現在までに12の短編集を出版。パレスチナ文学賞ほか数々の賞を受賞し、またノミネートされている。国際文学コンベンションへの登壇講演、朗読会などの活動も行う。現在はパレスチナのヨルダン川西岸地区在住。
私は生を享けて二ヶ月である、いま私を記す〈書き手〉によれば。私には名前も職業もなければ、何も知らず、どんなものに対する情報も立場も、ない。天賦の頭脳ではなく、ぼさぼさの髪のせいで学校ではアインシュタインとあだ名される彼なくしては、私は一言も発することができないのだ。彼はいま、新聞《アル=アイヤーム》の連載コラムで、私を無名のヒーローにさせようとしている。
私には言葉がない。いま私を生かしている子宮の持ち主の名さえ知らない。女性の子宮の外の世界は、全く計り知れぬ。誰のものかもわからぬ人々の叫び声が聞こえるのだ。空からやってくる鋭く荒々しい音、すぐに女性と子供の叫びが、男の泣いているのが。壁が砕けては、屋根が崩れ落ちる。すぐに音は止んで消え、少し経って数人の男が瓦礫から人々を引きずり出すのが聞こえる。あるいは、誰も来ないこともある。そして沈黙が残酷に残るのだ。
しかしながら、私は物を見ることも、香りを嗅ぐこともできない。私を記してくれる書き手に言った。
「お願いだ、見て嗅ぐ能力を私に授けてくれはしまいか。その力で何が起きているのか解るようになるだろう」
「では、ほんの少しだけですが、よろしいですか」
「よいだろう、同意しよう」
刹那、目と鼻に、視覚と嗅覚の驚異的なエネルギーが押し寄せてきた。
理解できないものが目に入る。埃を被って瓦礫に埋まる体。かろうじて動くものもあったが、もう死んでいるものもあった。撒き散らされた残骸——服、おもちゃ。缶詰、小麦粉の袋に牛乳瓶。食べ物と調理器具。たくさんの本とたくさんの扉。飛散したガラス、プラスチックの椅子、ソファーに絨毯——。それから、甘くて優しい香りがした。いままでに嗅いだことのない香りだった。
「我が書き手よ、この優しくて甘い香りは一体何なのだ」
「あなたの主人たる、女性の手の香りです」
「書き手よ、私は空腹だ。この一ヶ月、起こらなかった感覚だ。何が起こっているのだ」
「簡潔に申し上げるなら、家はどこも食糧不足なのです。彼女も少ししか食べられておらず、その影響がいま、あなたの身に現れているのです。しかし彼女も身を粉にして、そこかしこから食べ物をやっと手にしているのですよ。あなたを生存させるために、です」
私の存在を記す彼に問うた。
「彼女の子宮の外で一体何が起こっているのだ」
「本来知るべきではありません。あなたはこれから生まれてくる赤子に過ぎないのです。戸惑い、恐れ、自問しているだけで十分なのです。数ヶ月後もすれば世界に生まれ出て、大きくなったら何が起こっているのか、あなたの立派な主人に尋ねられるようになるのですから。」
彼女は私を腹に抱いて、あちらからこちらへと力ない足跡を残して歩いていた。彼女の祈りの意味を私は解さなかった。呻き声から彼女をかすかに感じた。泣き声をあげて神に家族と腹の子を守るよう請うていた——私のことだろうか? この動き回り続ける忍耐強いお方は一体誰なのだ? なぜこれほどにまで耐えて、執着して、私を抱えているのだ? このような状態でなぜそこまで私が重要なのだ? それに、彼女を取り囲むのは一体何の音なのだ?
「あなたの兄や姉の声ですよ」
私の書き手が答えた。それにしても、彼女はどこに向かっているのだろうか。馬の蹄の音が響く一方で、空からは冗長な音が止まず聞こえていた。「サラーハ=ッディーン通り」という声が繰り返し聞こえる。「南」という言葉も続く。書き手のおかげで、空からやってくる恐ろしいものが、彼女を、「我が母」を歩き回らせているのだとわかった。彼が私に「母」だと言う彼女が何度もこうやって恐れ、追われ続けているのは、そのせいなのだ。
「なぜ私に全てを見せてくれぬのだ。なぜ私に物を解し、顛末を我が舌で語る大いなる力を授けぬのだ! さすれば私が問い、あなたが答える形式などもうやめて、私から離れて休めるだろうに。自分の書くものに出てくる主人公たちの運命を弄ぶあなたが、一体何を失うというのだ。胎児だから能力に限りがあるなどと、作家のあなたが言わないでくれ。力も時間も出来事さえも司る作家なのだろう?」
「なぜそうも理解を急ぐのですか。あなたが何が起きているのかを理解するのが怖いのです」
私を腹に宿す主人の肉体が静まったと同時に、言葉が繰り返し聞こえ始めた——ラファハ、アン=ナワースィ、国境、缶詰、小麦粉、テント——。とたん、書き手が姿を消した。我が書き手よ、どこへ行ったのだ? 姿を見せてくれ、まだ二つほど尋ねたいことがある。なぜ我が耳が聞こえなくなった上に、我が母の動きさえ感じられなくなったのだ? 私はどこにいるのだ?
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それから私は彼の前に姿を現すことはなかった。成長すれば真実を知ることになるだろう。彼はいま小さな病院の保育器の中にいるのだ。彼はいま地獄のような場所にいるのだ。そして知るだろう、彼のために動き続けた彼女は今や動くことはなく、永遠に戻れぬところに行ってしまったのだと。
解説
「ここの外では」は2024年1月にアラブ統一に関わるニュースやフィクション・ノンフィクションを掲載する自由で独立したフォーラム・メディアصوت العروبة(Sawt Al-Oroba)【リンク】で発表された、ズィヤード・ハッダーシュ(زياد خداش)によるアラビア語の作品です。Victoria Issaによって英語へ翻訳され、アラブ圏の作家の作品や、アラビア語文学のニュースを掲載しているウェブサイト、Arablitに2024年2月19日に掲載されました【リンク】。
舞台となっているのはパレスチナのガザ地区。語り手である胎児が頭の中で感じ/考えていることを、記者である〈書き手〉が書き起こして記事にしている、という独特な体裁の小説です。
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本作の著者ズィヤード・ハッダーシュはイスラエルのイェルサレムの出身で、現在はヨルダン川西岸地区に住んでいます。イスラエル建国に伴って破壊された村にルーツを持ち、自身も難民キャンプで生活していた経験があります。
イスラエルによるジェノサイドは、ガザやヨルダン川西岸、イスラエル国内など、歴史的に〈パレスチナ〉と呼ばれてきた土地で行われてきました。また、パレスチナ人は、パレスチナから避難した先でも色々な暴力を受けています。パレスチナ人やパレスチナに住む人々に対するいずれの暴力も許されるものではありませんが、ひとまずこの解説では、作品の舞台であるガザのことに絞って話を進めます。
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ハマースの奇襲攻撃を口実としたイスラエルによるパレスチナ・ガザ地区の侵攻が2023年10月7日に激化してから、この解説を執筆している2024年5月15日現在に至るまで、イスラエルは停戦協定を拒否しつづけ、220日以上にわたってガザを攻撃しています。ヨーロッパ・中東・北アフリカ地域で迫害を受けている人々の支持団体であるNPO、Euro-Med Human Rights Monitorの報道によれば、死者数は43,640人。少なくとも3万5千人が明らかに殺害されており、さらに1万人が瓦礫に埋もれているといわれています。住民の50人に1人以上が殺されていることになります【参照元】。
この攻撃は、イスラエルによる“防衛”では決してなく、パレスチナという地域の存在を否定し、そこに住む人々から土地を完全に奪い取り、植民するための殺戮です。
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「ここの外では」はまさにそのような状況下にあるパレスチナで書かれた作品です。本作がアラビア語で発表された1日後の2024年1月19日には、すでに32,246人が殺害され、怪我人は6万5千人以上、家を失った避難民は195万人を超えていました。
作中で最後に言及されるラファハ(報道ではよくラファと表記されます)やアン=ナワースィはともに、エジプト国境に近いガザ地区南部の都市・地域です。特にラファハには現在、ガザの他の地域から100万人もの人々が避難しています。
現在、イスラエルによる侵攻で家を追われた人々の中で、妊娠している人は15万人にのぼると見られています。その多くは不衛生な環境と命の危険に晒される不安で健康状態が悪化しています。病院が破壊されたことによる不充分な医療設備、また助産師や医師の不足によって、出産の際に亡くなる人も少なくありません。爆撃により全員が亡くなった家族のなかの、妊娠していた女性に帝王切開を行なって、本来まだお腹の中にいるべきだった赤ちゃんだけが助け出されたという事例が報道されています(その赤ちゃんも、誕生の5日後に亡くなったそうです)。報道された他にも、そのようなことが起こっていることは、想像に難くありません。
本作の語り手である胎児が「動き回り続ける忍耐強いお方」と呼ぶ自らの母親も、食料が満足にない中で我が子のために食べ物を探し、少しでも安全な場所を探しています。
胎児が語り手のため、作中ではガザの被害は断片的にしか描かれていません。しかし、聞こえてくる音から、母の祈りから、「あなたが何が起こっているのかを理解するのが怖い」という〈書き手〉の思いから、状況の過酷さ、人々の不安、そして願いがひしひしと伝わってきます。
まずは音だけが聞こえる状態で、そしてその後は視覚と嗅覚を手に入れて。全貌が見えることのないまま状況がどんどん悪化していることだけがわかるストーリーテリングは、いまガザにいる子どもたちや、限られた情報をよすがに避難をつづけている人々が感じている恐怖や混乱、絶望の一端を、この掌編を読んでいる私たちに突きつけてきます。
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ガザに住む人々のうちおよそ半分は14歳以下の子どもです。上記の報道の数字から単純計算をすると、2万人強くらいの子どもたちが殺されていることになります。
いまガザで生きている子どもたちにとって、世界はまったく安全な場所ではありません。通っていた学校は焼き払われ、外で遊びたくとも、いつ爆撃やイスラエル兵による狙撃を受けるかわからない。昨日一緒に遊んだともだちや兄弟姉妹、大事な家族が今日は遺体になっていることがあるかもしれません。
それが、本作のラストでこの世に生まれ出た語り手の赤子がもう少し大きくなったときに直面する「地獄のような場所」です。「成長すれば真実を知ることになるだろう」という書き手の言葉は、語り手をこのような過酷な状況に追いやったイスラエルへの/国際社会への怒りと絶望の言葉のように見えます。でも同時に、「成長すれば」という言葉の中に、せめてこの子が生き延びられるような状況であってほしいという願いを見出すこともできます。
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母と子ども、そしてあらゆるパレスチナ人の/パレスチナにいる人々の命が奪われるべきではありません。様々な権利が侵害されるべきではありません。パレスチナは、一刻も早く解放されなくてはなりません。
翻訳者プロフィール
佐藤祐朔(さとう・ゆうさく)
1998年生まれ。ジャズ、哲学、語学を趣味とする。
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本作は2024年1月18日に、アラブ統一に関わるニュースやフィクション・ノンフィクションを掲載する自由で独立したフォーラム・メディアのصوت العروبة(Sawt Al-Oroba)に掲載された【作品】を、佐藤祐朔さんがアラビア語から翻訳したものです。また、アラブ圏の作家の作品や、アラビア語文学のニュースを掲載しているウェブサイト・Arablitで【英語版】を読むことができます。
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カバーデザイン:VGプラスデザイン部
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ズィヤード・ハッダーシュ「ここの外では」は、Kaguya Planetの「パレスチナ」特集の掲載作品です。
1964年イェルサレム生まれのパレスチナ人作家。高校の国語教師としてキャリアをスタートし、短編小説を中心に新聞などで作品を発表。現在までに12の短編集を出版。パレスチナ文学賞ほか数々の賞を受賞し、またノミネートされている。国際文学コンベンションへの登壇講演、朗読会などの活動も行う。現在はパレスチナのヨルダン川西岸地区在住。