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サイレント・ヴァース Ⅲ

サイレント・ヴァース Ⅲ


 
「出てけ! このろくでなしども! 二度とうちの山門を跨ぐんじゃねえ、ドチンピラが。てめえらなんぞ、まとめてメルカリで売られちまえ! キャバ嬢のラメ入りネイルで目突かれておっ死ね!」

慶雲和尚の僧侶にあるまじき罵声が徳安寺の境内に響き渡った。

フェスはおおむね成功だったが、パフォーマンスには反省点もあった。

オレの手話はしどろもどろだったうえ、ドローンサイネージは暴走し、あろうことか熱を帯びた流星群みたくご本尊の阿弥陀如来に襲い掛かり、仏身(ぶっしん)にブツブツの焦げ跡を残したのだった。豹柄みたいでカッコいいじゃん、と言ったら慶雲に思いっきり木魚で殴られた。そうさ、信じられるか? バチじゃなく木魚本体でだ。

──申し訳ない。

技術者の蓬原さんが、オレの頭のデカいタンコブに向かってシュンとして詫びる。

──いえ、オレの手話が下手だったからドローンがバグったんすよ。

謙遜してみたものの、失敗の理由はそれだけじゃない。手のムーヴだけを検出するのではなく、表情筋の動きまでもセンサリングするスキンパッチを試用したところ、データ量が膨大になり過ぎて暴走したのだった。顔までびっしり電子刺青(サイバータトゥー)に染めたヤバいビジュアルになってまでステージに挑んだのに情けない結果になっちまった。

──絶対に改善します。僕の技術者の誇りにかけて。

蓬原さんは静かな決意を込めて言った。こうして何人もの手話を体験していくと、手話にも各人の声色とでも呼べそうなものがあることに気付く。

同じ動きにも異なる表情があるのだ。

──大丈夫です。ライブってのは、ああいうアクシデントの込みでパフォーマンスなんで。ぶっちゃけメッチャウケてたですしね。これからもよろしくお願いします。

そうだ。ジオメトリックの復活ライブはある意味強烈なものになった。

オレたちのヘッズだけじゃない。近所のガキや老人や同時開催されているマルシェ目当ての主婦、それに雪見先生の教室の生徒たちも観に来てくれた。沈黙のなかで歌われるオレのパートは一種異様な興奮に包まれた。手話で歌うオレに、客たちは熱狂していた。そうっすよ、蓬原さん、気にすることはねえ、とアイが声と手話と交えてまくし立てる。

──うちのご本尊はなぜかあれから超人気なんすよ。豹柄なのは、衆生のお肌の悩みをその身に引き受けてくれるからだってことになって、美容にうるさい連中がこぞって参拝してんすから。親父もマリエちゃんが、あ、お気に入りのキャバ嬢のことっすけど、マメに足を運んでくれるってんで、ホクホクです。さすがにお袋とは険悪ですけど。

──そのマリエちゃんもすっかり刻吟のファンだしね。あいつらはみんな実の息子みたいなもんだってご住職秒で手の平返して超高速自慢(ボースティング)してたよ。

雪見先生が苦笑した。

──次のライブはどうする?

オレは満足していなかった。

盛り上がったとはいえ、やはり以前のライブの完成度には程遠い。ハンディを抱えたラッパーが健気に頑張っている姿への同情と憐憫。はっきり言って今回の成功の大部分はそれに起因する。それじゃダメだ。もっともっと練習して磨きをかけないと。
「ジオ、おまえ何か掴みつつあるんだろ?」

アラタがオレに探りを入れる。

──かもしれない。でもまだはっきりとは見えていない。

オレは手話でのラップ独自の表現を手に入れる必要があった。

手話の技術を極めていけば、肉声のラップと遜色ないパフォーマンスをいつか実現できるかもしれないが、まだオレの手話にはフロウがない。ライムも。少なくとも声を使わずに韻を踏む必要がある──韻と印、ヒントはそこにあるはずだった。
「来月のハコは押さえてあるっす」とユージが言った。

物思いにふけっていたオレは現実に引き戻される。おぼろげに姿を現しかけていたものが、また霧の向こうに消えていく。代わりに無意識に沈んでいたあの恐怖が首をもたげる。

知恵の輪と骰子(ダイス)のタトゥー。

絡まり合った因縁と目まぐるしく変っていく運命の流れ(フロウ)

足りない頭であれこれ考えても仕方ない。
「やろう」とオレは言った。



Woo! Woo! Woo! 事件発生。

酔っぱらったユージがノイズ・カルトのMC GLITCHとクラブで乱闘を起こした。

揉み合いになった両者はすぐに引き離されたが、これで遺恨は深まるだろう。ユージにメキシコビールの瓶で殴られたグリッチは頬に三針を縫う怪我を負った。オレを刺したミュートがノイズの差し金だと信じての行動だったが、あちらはとんだ濡れ衣だと否定しているらしい。プロレスでしかなかったビーフがよからぬ真実味を帯び出した。

オレがその場に居合わせればよかった。いや、もっとちゃんと血気盛んなユージに釘を刺しておかなかったのを後悔した。オレを襲ったガキが本当にノイズのファンだとしてもアーティストがファンの行動の一切に歯止めがかけられるはずもなかった。

後輩のしでかしたことはオレがケツを拭かなきゃいけねえ。

メールやLINEで詫びを入れるか? グリッチに電話をかけようとしたが、自分が喋れないのだと気が付いて、プッシュする手が止まった。テレビ電話か? バカげてる。どっちみち画面越しじゃ済まねえ。これは直接出向くしかないかとコンビニを出て、ため息をついたとき──やっぱりオレは大物なんだな──先方から出向いてくれた。

黒塗りのワンボックスに横付けされたオレはそのまま車内に引き込まれた。

レンタカー屋のステッカーが見えたから、ああ、こういう強制ピックアップ用の車も今じゃレンタルなのかとぼんやり味気なさを感じた。助手席にはユージに殴られて男前になったグリッチが座っていた。これからボコボコにされるんだろう。痛えだろうなクソ。

ガクガクと全身が震えそうになるのを必死で抑えつけた。
「よう、ジオ」とグリッチが言った。

車内にはオレの他に五人の男が居た。一様にサイドとバックを短く刈り上げたクロップヘアで、自ブランドの派手なセットアップを着ている。ノイズ・カルトのメンバーたちだ。

オレは頷くことしかできない。
「後輩のしつけがなってねえんじゃねえのか、それともおまえがやらせたのかよ」

なおもオレが黙っていると、なんとか言えよ、おい、と取り巻きがすごんだ。

オレは指先で口元にバツ印を描いて、しゃべれないことをアピールした。
「そうだったな、忘れてたよ。おまえもうラップできねえんだったか」

取り巻きたちが馬鹿笑いする。終わってんな、雑魚がよ。

はい、オレは雑魚です。終わってます。だからもう勘弁してくれよ。

素直に謝ろうと思ってたのに、囲まれて散々罵られるので一瞬反抗的な目付きをしてしまった。これでは先方に陳謝の意が伝わりにくくなる。取り巻きのひとりがオレを痛めつけようとしたところをグリッチが押しとどめた。
「行先のヒントは三つ、コンクリート、大量の水、電気だ。長いドライブになるぜ」

悦に入ったキメ顔をしているところを見るとあらかじめ準備した台詞に違いない。

ダムだろダム。バカがもったいつけんじゃねえ。明日はライブだから、ダムに沈められるわけにはいかない。せめてその後にしてくれないだろうかとオレは思った。

ワンボックスが高速道路に入ったとたんに、エアロパーツがエビみたいに反り返った平成というよりもう中世って感じのバニングカーに煽られた。よく似た波長の連中はスタンド使いみたいに引き寄せ合うらしい。いつだってそうだ。血の気の多い整備不良の人間未満であるオレたちは、いつだってトラブルからトラブルへと渡り歩いている。グリッチが刺青だらけの左手を窓から出して中指を立てたが、敵もさるものちっとも怯んだ様子もなく、ってか、むしろ頭に血が上ったみたいで、追いつ追われつの公道レースが始まる──と思ったが、カーナビの経路は鮮血みたく真っ赤。電光掲示板の交通状況も事故による渋滞を告げていた。前方の車輛はザードランプを光らせて、こぞってスローダウンしていく。背後につけたバニングカーから四人の作業着姿の男たちが降りてくるのが、バックミラーに確認できた。ねじり鉢巻きにサングラス。車は中世だが、乗ってるやつらはまるでジュラ紀だ。

敵は寡兵なれど、一騎当千の風格がある。

鼻息を荒くしたノイズ・カルトのメンバーたちもそれを迎え撃たんと下車と相成った。

逃亡のチャンスと見たオレはそっと車を降りて、ゲリラ兵さながら前かがみになってサッサッと車の影から影へと身を潜めながら進んでいった。ファミリーカーの後部座席の子供がオレを指さして母にたずねているが、見ちゃダメよ、と咎められてふくれ面になる。

100メートルほど進んだところで振り返ると、ノイズの連中は劣勢で、ざまあみさらせと喝采を上げたかったが、同業者がボコボコにされるのを見捨てるのは、ちょっぴり気が咎めた。大丈夫、あいつらは頑丈そうだし、脳が揺れたってあれ以上バカになることはない。そんなふうに言い聞かせたのに、オレの身体は真逆の行動を取ろうとする。

やめとけジオ、お人好しめ、と自分に言い聞かせる。

クズとクズとで潰し合って世界に秩序と安寧とさらなる交通渋滞がもたらされる。それのどこがいけないんだ? ジオ、おまえにはがっかりだぜ、もうちょっとスマートなヤツだったろ? ものすごく憂鬱な気分で戦地に舞い戻ったオレはアスファルトの継ぎ目にぶっ倒れたグリッチを華麗なステップで踏んづけている浅黒い金髪に体当たりをかました。ノイズの他の連中は、アームロックをかけられたり、ブレンバスターされたり、バニングカーの排気口を舐めさせられたりしていた。戦闘力が圧倒的にかけ離れているため、まるで相手にならない。おまえらマジで恐竜かよ、二人足りねえジュラシック5かよ。
「ああ、なんだおめえはよ、こいつらの仲間か。はっきりしねえ奴だな。逃げたんだろ?」

オレの加勢は火に油だった。猛り狂った金髪は、オレにのど輪を極めて、レンタカーのリアウィンドに押し付ける。ガンガンと後頭部を打ちつけられた。ジタバタともがいたが、どんどん意識が遠のいていくのがわかった。

まぶたの裏側で暴悪大笑面がゲラゲラと笑っている。

オレのポケットの中から小石みたいな無数の機械がこぼれ落ちた。

もがきながらラップをする。できることはそれしかない。たとえ場違いでも、喉を締めつけられていても手話でのラップなら──オレにしかできないラップなら可能だ。散らばったドローンサイネージが起動し、浮かびあがって発光し、少しばかり夜の闇を削り取った。

savage smileのはじまりのヴァースを破れかぶれに奏でた。


カーヴミラーの奥 揺れる瞳の影 それは透けてる

静寂が鳴る あっけなくバレた ごまかしの笑み

集中治療室(ICU)から おまえを見る(I SEE YOU)

口パクのアフレコ 溢れ出すエゴ 笑え

声はなくとも暴かれる ささやかな真実が



光と文字とショーに渋滞中の車内の視線が集まった。

ドライヴ・イン・シアターの観客のように誰もが眼を奪われる。

さっきの子供がルーフを開けて身を乗り出すが、もう咎められることはない。

オレは五指を互いに組み合わせる動作を内と外へ向けて繰り返した。リリックにおいて「透けてる」は外へと「バレた」は内へと指先を向ける手の形となるが、それは陰と陽、表と裏のように美しい対称性を示す。それだけでなく「溢れ出す」と「暴かれる」もほぼ同型のムーヴだ。オレはかつて声で韻を踏んだようにして動きで印を切った。


オレはサイレントじゃねえ サイレンだ

誰にもミュートされねえ 緊急非常警報だ

終末を告げる天使のラッパ 鼓膜裂くシザーヴォイス

取っとけよ 行きがけ駄賃は百万ドル

開演直前はじまるぞ 命がけのスクランブル


後頭部をガラスに叩きつけられること32回目にしてオレの意識はついに飛んだ。

フックの途中、オレのコントロールを離れたドローンサイネージは酔っぱらった銃弾さながら四方八方に乱れ飛んだ。
「おい、なんだありゃ、シャレになんねえだろ!」

敵はそれを未知の飛び道具と勘違いしたのか、恐慌をきたし蜘蛛の子を散らすみたいに逃げ出した。じっさい阿弥陀如来を焦げだらけにしたドローンたちには、ちょっとした火力があって、バニングカーの連中のひとりは顔面を直撃されてもんどりうった。連中はリーダーを見捨てて逃げ出していく。一種の体外離脱状態で高みから見下ろせば、名神高速道路はマリオカートのレインボーステージばりにサイケデリックに輝いていた。
「おい、ジオ! ニヤニヤ笑ってんじゃねえ」グリッチがオレを揺さぶり地上に引き戻す。

顔の全面がボコボコになっていたから、ユージにやられた傷は上書きされたようだ。てめえらの不細工な顔面もお絵かきボードみたいにすっかり消せればいいのによ。
「あいつらメチャクチャ強かったな」

グリッチたちの手によってオレは道路の端に寄せられていた。

オレはコクンと頷いた。

超難易度の虹のコースは消えて、冷たいコンクリートが戻ってくる。
「助けに来といて瞬殺されんじゃねえよ、バカが」とグリッチ。

瞬殺じゃねえ、秒殺だ、とオレは心の中で自己弁護する。
「でも、奴らはずらかった。勝ったのはオレらだ。つうか、お前のヤベエ得物のおかげだ」

グリッチが言い、オレはまた頷いた。他の連中もボロ雑巾にされていたが、オレへの敵意は影をひそめた。どれだけ意識を失っていたのか、すでに渋滞は解消されていた。

とはいえオレたち刻吟とノイズ・カルトの確執となると容易には解消されないだろう。
「いいよ、これでチャラだ」とグリッチは照れくさそうに言う。「それよか、ありゃなんだ? いや、わかってる、あれがおまえの新しいラップなんだな?」

まあな、とオレは口の動きだけで言った。
「悪くねえ」グリッチが言うと他のメンバーも賛同した。「認めるぜ、あれはラップだ」

そうだ。しかし手話における韻は、音ではなく身体で踏むライムだった。
似通った手の形、軌道、リズム、身体の配置──そうしたムーヴメントの反復と変奏。

近しいムーヴを繰り返しながらズラしていくことで、フロウが生まれる。仏像のハンドサイン。つまり印から韻へと着想したアイデア──それがオレの新しいラップだった。
「わかってんだろ、おまえを刺したのはオレらの仲間じゃねえ。でも、お前が見た知恵の輪と骰子はもしかしたらオレのせいで死んだ男のものかもな」

グリッチの表情が曇るのは、きっと悔恨の情のためだ。

かつてノイズ・カルトにはD4RK(ダーク) CHANT(チャント)というラッパーが居た。素行の悪いメンバーの中でも折り紙付きだったそいつはとうとうメンバーから追い出され、曲とも呼べない恨み言(ヴァース)をいくつか残したあと、オーヴァードーズとも自死ともつかぬ不審な死に方をした。

そいつが首元に刻んでいたタトゥー、それが知恵の輪と骰子だった。

オレは首を振った。誰がどう見たって当時グリッチの採った選択はこいつには珍しく妥当なものでディスる余地はない。あのままダークチャントを抱え続ければノイズ・カルトは瓦解していたはずだった。
「でも、やっぱりオレたちのせいかもなんだよ。少なくともアイツのガキはそう思ってる。オレたちが見捨てたから父親がくたばったんだってよ。てめえだって父親に見捨てられたくせに何を入れ込んでんだかよ」

そうかとオレは遅まきながら真相に気付く。

ダークチャントには息子がいたのか──そいつがミュート。

オレはあいつをそそのかして鉄砲玉に仕立てたクソな大人が背後にいると睨んでいたけれど、それは死んだ男だった。グリッチたちの狂信的なヘッズを装っていた襲撃者の、その怒りの矛先はオレではなく、むしろノイズ・カルトに向いていたのだ。

オレにだって覚えはある。人間てのは、よせばいいのに自分を捨てた相手に執着する。

ダークチャントがノイズ・カルトにこだわったように、ミュートもまた父であるダークチャントに憧れを抱き、ヤツを排斥した父の仲間たちにねじくれた愛憎を抱いたんだ。こいつらの負の円環、ぐるぐる回転する丸鋸にオレは巻き込み事故を喰らったってわけ。
「これみよがしに父親と同じタトゥーを入れたあのガキはオレたちの対立を煽って、潰し合わせようとしてる。おまえんとこのD-VYDEも、それに火をつけられたオレも、あいつの意のまま手の平で踊らされてんだよ。わかっちゃいたけど、親友だった男の息子を詰められなかったのはオレの甘さだった」

そいつは実体のないビーフを過熱させ、金と数を稼げると踏んだオレの甘さでもある。

代償は大きかったが、何もかもが台無しになったわけじゃない。ズタズタになったオレたちには破れ目を縫合する言葉が要る。もしオレがまだラッパーなのだとしたら、そいつを探し当てなきゃいけない。



オレは蓬原さんの工房の住所を雪見先生に聞いて、アポなしで押しかけた。

古い木造の平屋だったが、落ち着いたペールグリーンのペンキでシックな風合いに仕上がっていた。夜中じゃなければ、きっと目を奪われたはずだ。観音開きのドアは蝶番が吹っ飛んで百年も前から開けっ放しみたいな風情。アートなのか実用品なのか定かじゃない色んなものをかき分けながら、オレは工房の主を探した。こんなとき、大きな声が出せればと思わずにはいられない。しかしいまは失ったものにすがる弱気はとことん無用だった。

──ああ、ジオくん、私も君を会いに行こうと思ってたんだ。

二コラ・テスラものけぞるような特大コイルの前でいつものスウィングトップを羽織った蓬原さんと行き合った。

──こんな時間に? まあ、オレも人のことは言えねえけどさ。ついさっき、バカどもとひと悶着あってさ、またドローンサイネージを暴走させちまった。たまたま手のスキンパッチをつけっぱなしだったから、その起動しちゃって。

──そうですか。やはり私のサイネージは出来損ないですね。

律儀に蓬原さんは頭を下げかけたが、オレはそうさせなかった。

──いえ、じゃじゃ馬かもしれませんけど、出来損ないなんかじゃない。おかげでさっきは助かったしね。それよか、オレ気付いたんです。蓬原さんは、過去のオレのラップをAIに食わせて、ジオの最盛期を再現しようと頑張ってくれましたよね。でも、なんか思ったんすけど、それって違くねえ?

──というのは?

蓬原さんは顎を差し上げ、オレはためらいがちに肩をすくめた。これから提案するのは、いままでの努力とはまったく別の方角を向かうことだからだ。それにライブは明日だ。

笑っちまうほど時間はなかった。

──オレは手話を声によるラップの代用品にしようとしてた。でも、ちょっとずつ手話を学ぶうちに、これじゃジオのラップは取り戻せないって思ったんだ。いや、手話の表現力が劣ってるってわけじゃない。マジでそうさ。むしろもっと新しい、手話でしかできねえ、誰もお目にかかったことのねえもんを掴むべきなんだ。かつてのジオの表現に手話と蓬原さんの技術を押し込めるべきじゃないんだ。

蓬原さんはさして驚いたふうもなく頷いた。そればかりじゃない。悪だくみをするような不敵な笑みを浮かべた。謹厳実直な蓬原さんが秘めてきた獰猛な笑い(サベージスマイル)

──実はわたしも同じことを提案しようとしてました。この土壇場に来て全面的に仕様を変更するのはリスキーですが、AIの評価関数を大幅に改変したシミュレーションによるとかつてのパフォーマンスを踏襲するのをきっぱりと断念することで、手話から文字翻訳への遅延(レイテンシー)がほぼ無くなり、ドローンの即時性が格段に向上します。

──それって?

──即興のラップ、つまりフリースタイルでもギリギリ使用できるでしょうね。ただしかつてのジオが得意としていた構文法は破壊されます。悪くすれば日本語としても破綻するかも。どうしますか、と聞くのは野暮でしょう。さっそく調整するので、手伝ってください。

蓬原さんは吊り上がった口角を自分の手で引き下げ、いつもの温和な顔に戻った。

──ジオくん、強面のご友人たちを招集してください。今日は徹夜になりますよ。


10


刻吟の初舞台だったクラブ『ローグ』にオレは戻ってきた。

初舞台の緊張を思い出し、胃のあたりから吐き気がこみ上げる。いや、無我夢中かつ根拠なき自信に充ちていたあの頃はもっと気楽だった。蓬原さんにドローンサイネージをかかりきりで修理調整してもらったかいあってリハーサルに問題はなかった。世間を騒がせた事件からの経緯もあってチケットは完売し、フロアは過密状態。

雪見先生やノイズ・カルトの連中も顔を出した。マリエとかいうキャバ嬢までも。クラブになんて絶対縁のなさそうな蓬原さんは、ソファで所在なさげに宙を見据えている。

ライブがはじまり、ステージ上から客を見渡したとき、ようやくあいつの存在に気付くことができた──冗談だろ?──でも間違いないミュートだ。

行方をくらませ逃亡していると聞いていたが、あつかましくも大胆にここへ乗り込んできやがるとはな。頬は削げ、眼は落ちくぼんでいるところを見ると相当追い詰められているのだとわかる。警察に追われているだけじゃない。オレたちのヘッズたちは干渉するなと訴えているにもかかわらずミュートを多額の賞金首のように狩り出そうとしていたから、この数週間は落ち着かない夜を過ごしたに違いない。きっと焦燥と疲労は極限に達しているだろう。窮鼠が噛みつこうとしてるってんなら受けて立ってやる。

じゃないとオレも寝覚めが悪いからな。

襲撃からこっち、オレらのイベントでは客に身体検査を行う方針だったから、ここにいるということは武器を持っていないんだろう。グリッチにとって後ろめたさの象徴であるあいつはオレにとっては恐怖の源泉だった。にわかに鼓動が速まる。

あのガキはフードで顔を覆っているが、オレの目を出し抜けると思ったら大間違いだ。

上体のほぼ全面をスキンパッチで覆ったオレは京劇か歌舞伎のメイクを施したようないで立ちでステージから仄暗い箱庭を見下ろす。手話におけるロールシフトとは自分とは別の存在になりきる重要な文法表現だったが、ここでのジオもまた未知の領域へと様態をスライドさせていく。平静を装いながら集中を高め、拭い切れない恐怖を冷たく飼いならす。

savage smileは徳安寺のライブより各段にアップデートされた。

手話によるライミングだけでなく、所作そのものに抑揚を加えることで静寂のフロウが生まれた。サイネージはオレのムーヴひとつひとつを敏感に汲み取って滑らかにテキストとして繰り広げる。電子の巻物に誰もが眼を奪われ、押し寄せる視覚情報のうちからビートとリリックがきめ細やかに立ち上がってくる。

陰陽師のように切った印はそのまま韻となり虚空に繋ぎとめられる。

ミュート。おまえはオレをミュートできなかったな。これがオレの新しい声だ。

大喝采は鳴りやまないまま、アンコールへと雪崩れ込む。

不機嫌にひとりフロアを去ろうとするミュートの霞んだシルエットが、出口付近でそれを待ち受けていたグリッチの仲間と行き合うのがわかった。口論というよりも一方的な恫喝のあと、あいつは地獄か、それに近しい彼方へ連れていかれるだろう。オレの代わりに昨日たどり着けなかったダム湖に連れていかれるのかも──客席の物々しいざわめきはほんの小さな雑音にもならない。

オレのラップは止まらない。

仲間たちのパートになるとまた音が戻ってくる。このスリリングな展開そのものが未体験の次元を切り開いていく。おまえの鋏がオレの喉を切開したみたいに、新鮮なリリックと血しぶきを浴びて客たちは恍惚となる──だが、オレはアラタに目配せしてノイズ・カルトの連中に囲まれてフロアから消えていくミュートを押しとどめた。


因縁深きノイズ 耳障りな雑音

キャンセリング不能な戦友 Vibe, Keep it tight!

ノイズ・カルト この街のプライド!


グリッチ率いるノイズ・カルトへアラタが歯の浮くようなおべんちゃら(シャットアウト)を繰り出すと、客たちはそちらに注意を向け、刻吟とノイズ・カルトの相克のストーリーを思い出す。一斉に注目を浴びたノイズの連中はさすがに荒っぽい真似はできなくなって間の抜けた表情でステージのオレたちを見返す。長らく火花を散らし合っていた二つのグループが歴史的な和解を果たしたことにクラウドはさらに沸き立つ。

おまえを助けてやったわけじゃない。ミュート、おまえはオレの獲物だ。

逃がしやしない。オレはミュートをステージ上に差し招く。

ジオ、おまえの顔を立ててやるのは今度だけだぞ、と言わんばかりにグリッチはミュートを押し出す。ひそひそ囁きながら観客たちが道を開ける。おずおずと、そしてやがて不敵にミュートはステージに這い上がって来る。フッドたちは激しい殺意を隠そうとしなかったものの手を出すことはしない。久しぶりだな。あの夜以来か、とオレはサイネージで語り掛ける。いろいろ言いたいことはあるが、もうどうだっていい。

オレはピンピンしてる、おまえは仕留めそこなったわけだ。

鋏をマイクに持ち替えて、ミュート、今度こそ刺しに来いよ。

オレの意図を読み違えるバカはフロアにはひとりもいない。

ほとんど無名のラッパーを相手に刻吟のジオがフリースタイルバトルを挑むのだ。

とはいえ、これはオレにとって有利な展開とは言い難い。なぜならオレの手話ラップはつい数時間前にフリースタイル用に調整されたのだから。まだまだ未熟な手話で即興の戦いをしなくちゃならない。事情を知らない客席の雪見先生は天を仰いだ。

わかってる。バカげたギャンブル。だとしても引き下がれやしない。
「やってやるよ、死にぞこないが、もういっぺんネズミに添い寝させてやるよ」

ミュートはアラタからマイクを奪うと、はじめて声を発した。

オレは父親の遺恨を晴らす相手じゃない。ここはこいつにとって純粋に名を売るまたとないチャンスであり、人生をひっくり返す転機だった。あらゆるお膳立ては済んでる。おまえの伝説をここからはじめるのか、それとも蠅みたいに叩き落とされるかだ。

──先攻後攻はどっちにする?

ジャンケンで決めるなら、オレの勝ちだぜ、とサイネージは瞬く。鋏の好きなおまえはきっとチョキを出すだろうからな、間抜けなバルタン星人。歴戦のラッパーであるオレはケツの青いルーキーに挑発するように揺さぶりをかける。

オレがグーを出すと思ったミュートはパーを出した。

もちろん裏の裏をかいたオレはチョキで勝利した。

幼稚な駆け引きに負けたミュートの顔が青ざめ、それから怒りによって赤く染まる。

──悪かったな、今夜のシザーハンズはオレだったみたいだ。

さあ、おまえから来いよ、切り刻んでやるぜ、とオレは鋏を開閉させる。
「後悔すんな、時代おくれのジジイがよ」とミュートが引きつった笑いを浮かべた。

フロアは割れんばかりの歓声に包まれる。

フリースタイルの大会ではオリジナルのビートが使われることが多いが、もちろん今夜はその用意はない。ユータがぶっつけで選んだのはなんとノイズ・カルトの曲のインストだった。それもミュートの父ダークチャントが全盛期だったころの。

タイトルは──DEAD AIR──BPMは144、インダストリアルなドリルビート、歪んだシンセベースにトラップ風のパーカッションが入る。幽霊めいた不協和音のコーラス、ブレイク時に一気に音圧が下がり、低音がぶち込まれるのが特徴的。

ノイズ・カルトの代表曲のひとつだ。

ノイズのやつらもこの曲で戦うオレたちから目が離せない。因縁は三者を巻き込む。これはきっとユージからグリッチへの詫びを兼ねた趣向でもあるし、死んだ男へたむける献花でもあった。

先攻のミュートが戦いの火蓋を切る。


Yo ジオ、死にぞこないのコーギー、気分はどうだ?

だんまり決め込むおまえは壁の落書き

過去の亡霊 おまえを刺した右手がうずく

止めくれよ、オレのマイクは血に飢えてる

世界はオレを見てる。でもオレは上だけを見てる

立場が逆だな 俺がメインでお前が端役

俺のライムはシザーみてえにシャープ

ここで散るか? それともブザマに足掻く?


跳ねるようなハイアットが打ち込まれ、808(エイト・オー・エイト)の重低音が空間を押し潰す。ざらついた歓声が肌に弾ける。手応え充分といったところだろう。ミュートはご満悦だが、父親譲りの無表情をキープ。見とけ、フロアはゲームボード。たっぷり遊んでやる。しかしオレの詰将棋は一瞬かもな。


幽霊? 違うな ゾンビだぜ

おまえのライムの墓から蘇生

あの夜の刃物は 研ぎが甘かったな

オレはバイリンガル おまえはしがない売名屋

世界が見てる? そりゃそうだろ

負け犬が吠える姿は見ものだもんな

おまえの足首は もう掴まれてる

じっくり聴かせてくれよ ぬるいflowと断末魔


最後のフレーズは「ぬるい風呂で溺れるリラックマ」という原曲のリリックからのアレンジだ、しかもダークチャントのパートから借り受けたものだったから、それを知っている連中は当然のようにブチ上がる。重低音が床を揺らし、観客の胸骨が鳴る。改変した蓬原さんのサイネージは、オレが動けば影のように付き従ってくれる。そして影はいつだって光の方向を指し示す。小僧、おまえと違ってオレには無限の参照先がある。ラップのネタだけじゃない。声を持たなかった人たちの輝ける知恵、それは点々とどこまでも続く血痕の道でもある。おまえにはまだ流したことのない血がある。

さあ、続きをやろうぜ。


Ha!  俺のナイフが甘い? 聞いて呆れる

お前の時代は終わり もう古びてる

くだらねえB級映画は即ミュート

オレのキャリアはBlockbuster

転がり出すぜ Big Budget

そろそろ消えろよ ダサい老害

そんな踊りじゃシーンは濡れねえ

あの世で親父としろよ マイクリレー


ミュートは食らいついてくる。見上げた根性だったが、あろうことか大げさなジェスチャーに見せかけて宙に漂うオレのサイネージを薙ぎ払った。とんだラフプレイ。サイネージの文字は半減し、なけなしのリリックが不明瞭になってしまう。観客からブーイングが巻き起こるが、ゾーン没入中のオレは怒りとは裏腹に笑みを──暴悪大笑面(サベージ•スマイル)を浮かべる。

そもそも新しい仕様のサイネージは不安的で、リリックの構文をキープするので精一杯。気を抜けば語順は入れ違い、危うく意味作用すら瓦解しかけるのを、韻の結束力でなけなしの体裁を保っていたに過ぎない。それがここまでドローンを減少させられては、もうサイネージの灯すわずかな単語イメージ、そして拙い手話そのものしかオレには残されちゃいない。だとしてもかまうものか。それで十分さ。オレのラップは空気を震わせることなく、観客のニューロンをノックするからな。おまえはオレの声を奪い、いままたオレの言葉をかき消そうとした。でもオレはおまえのくだらねえ罪なんて見ねえ。過去は幻だ。オレが見るのは、オレの前にいるのは、敵だらけのステージに乗り込んで徒手空拳でもがくひとりの若きラッパーだ。ミュート、おまえを認めてやるよ。


B級映画? ならおまえはエキストラ

おまえの目はガラス玉 脳まで透けてみえるぜ

覚悟はいいのか? 成りあがる道は長く険しい

朝飯前ってわけにゃいかねえ だろ、ダークチャント?

ほら、おまえの耳元でパパが囁いてる

おまえじゃまだジオの足元にも及ばねえってな

ミュート解除 溢れ出すジオの静寂は大音量

致死量浴びて(HIGH)になれ 次世代のヒーロー


オレはトドメとばかりに「朝飯前」に応ずる「灰」で(ライム)を切った。

どちらも手の平の上の粉を吹き飛ばすような手話として表現することができる。それと同時に降り積もった因縁を帳消しにしようというオレの決意のカタチでもある。

痛みはとっくに過去のものでしかない。静寂の韻と印(ライム)は目まぐるしく交錯し、宇宙のはじまりの真空みたくエネルギーと情報で泡立ってる。刻吟のパフォーマンスはまだ見ぬ領域に引き上げられた。リスナーたちは空気を震わせるラップだけじゃなく、オレの無音の叫びに耳を澄ましたんだ。きっと誰よりもぶっ刺さったのはおまえだろミュート?
最後の言葉(ヴァース)は皮肉じゃない。

ミュートに向けた賛辞であり期待でもある。審査員やジャッジのいるバトルとは違う。鳴りやまない歓声がどちらのためのものなのかもわからなかった。でも誰が勝者かってことならオレと戦ったミュート自身が一番よくわかっているはずだ。雪見先生が蓬原さんとハイタッチするのが見えた。蓬原さんにもオレのラップは聴こえただろうか?

フッドの連中が駆け寄ってオレをもみくちゃにする。

アラタが呼び込むと、ノイズ・カルトの連中は大物ぶった足取りでステージに上がってきた。昨日オレを拉致したばかりだってのに、どの面下げて握手なんてしやがるんだと思ったが、分厚い手には頼もしさがあった。でも、スキンシップを交わす相手はオレじゃない。

グリッチ、おまえの親友の息子がそこで打ちひしがれてる。
「チッ、てめえチャントの息子なんだろ? おう、今夜は最高だったな。親父よりよっぱどかイケてんな。てめえにぶっ刺されたジオだって未練がましく続けてんだ。ラップやめんじゃねえぞ。でもな、まずはおとなしく鑑別にぶちこまれちまえ。あそこはリリックを書くには悪くない場所さ。ラッパーならいっぺんはぶちこまれたほうがいい」

グリッチはマイクを持ったままのミュートの頬を一発張り、それからハグした。

ミュートはガタイのいいグリッチの肩で首を吊られたままジタバタする。

──クソガキ。何度でもオレを殺しに来いよ、次は爆弾でも持ってこい。

オレは静かに、いかなる音も立てず、しかしどんな声よりもはっきりと告げる。

グリッチの万力から逃れたミュートは傲岸にオレを見つめ返した。
「わかったよ。ジオ、あんたはマイクでしか殺せないんだな。でも殺すけどな」

まったく負けん気だけは親父譲りだな。可愛げの欠片もねえ。ただし、瞳の奥には怯えた後悔の色が見えた。こうして見ると、本当にただのガキ──栄養も愛情も足りない子供でしかない。おまえだって怖かったんだろうさ、同情の余地などないと世間は言うだろうが、おまえにはおまえのやむにやまれなさってのがあったんだろう。
「ジオのやつ、けっこう効いてたぜ。もう一歩だったな」とグリッチが茶々を入れる。

ふざけんじゃねえ。こんなガキにゃ、あと百年は負けねえよ。

二人を並べてぶん殴ってやりたかったが、今夜だけは我慢することにした。オレはもうひどく空っぽで、また同じくらい満たされていたから。最高だったなとアラタがねぎらいの言葉を放る。アイとユージといっしょにテキーラを流し込んでいた雪見先生がこっちへ向けて大きく手を動かした。あれはオレのまだ知らない手話なのかもしれないし、ありがたい仏の印契(ムドラー)、それとも無意味なジェスチャー、ことによるとラップなのかもしれなかった。
オレのラップは音源に乗らない。おまえらの鼓膜を震わせない。切れば血の出る生の現場(ライブ)を訪れた者だけに手渡すことのできる一度きりのパフォーマンス。

ただしミュートされた人々にも届く声──これをなんと呼ぶべきだろう?

オレはまだラッパーなのか、それとも今夜ようやくラッパーになれたのか?

心臓に押しつけられた灼印(リリック)

数多の自傷と他傷を横切る縫合線(フロウ)

たどたどしく発光する共鳴符(ライム)──これらはいったいなんだろう?

問いは、ビートをすり抜け、ループをほどき、静寂と騒音の間に溶けていく。

十三不塔

十三不塔著者

    2020年『ヴィンダウス・エンジン』にて第8回ハヤカワSFコンテスト優秀賞を受賞。近著に、『氷鉄のフロンティア ~転生ロボット工学者、ゴーレム直してたら技術革命起こしちゃった~』や軌道エレベーター上で開催される恋愛リアリティ番組とその背後の極秘計画をめぐる『ラブ・アセンション』などがある。井上彼方編『SFアンソロジー 新月/朧木果樹園の軌跡』、日本SF作家クラブ編『AIとSF』、大恵和実・藤吉亮平編『宇宙大将軍侯景SFアンソロジー 梁は燃えているか』などにSF短編小説を寄稿。専門学校講師で、芝居やラジオドラマなどの執筆もしている。